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感想・レビュー・書評
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「俊寛」 1922年(⼤正11年)
WIKIPEDIAより;
俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都(しゅんかん そうず)と呼ばれることも多い。
村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局(源国房の娘で八条院暲子内親王の乳母)。姉妹に大納言局(八条院女房で平頼盛の妻)。
後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた(ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている)。だが、密告により陰謀は露見し俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。(鹿ケ谷の陰謀) >>>
WIKIによると、俊寛は真言宗の僧侶であったらしいですね。
本作によると、俊寛は二人の同罪の者たちに去られた後、仏教的な悟りの境地に入って恬然として暮らしたという話になっております。
もともと僧侶ではあったのだから、お話的には無理はないのですが、どうも芥川の書いていることは仏教とはすこし違うような気がするんですよね。
理屈が勝ちすぎるというか。
佐渡島に流されたときの世阿弥の境地とはかなり違う。
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_040.html
能・演目辞典:俊寛
『平家物語』 巻4
現代語訳『源平盛衰記』 第7
【おやすみ前に聴く朗読】芥川龍之介『俊寛』
https://www.youtube.com/watch?v=Pk5XQ2eplqI詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
導入部での有王の言葉は倉田百三、菊池寛の俊寛像へのあからさまな当てこすりである。さすが芥川。
ひとり悲しみに打ちひしがれ、呪いつづけた俊寛でもなく、野生の中で本能のままに生きる瞬間でもなく、一人の人間として、考える力を持った存在
として見事に俊寛を描き出している。
流されたことを恨み続けても、現状は変わらない。考えているから悩まない。哀しいことは消えることはないと知っているから笑ってもいられる。どんな境遇に置かれたにしろいま、ここにあることは変わらない事実なのだ。異国同然の島で暮すことになったのも何かのご縁。存在を信じているから空々しい信仰をしない。所詮不完全な人間がとる天下。それこそ諸行無常。だれがやっても同じこと。それは当たり前のことなのにどうして思い煩うのだろうか。この島ではそんなことから解放されて、好きに思索にふけられる。はたして都に戻った二人と俊寛どちらが幸せか。
こうやって真理を俊寛に語らせるのは芥川の才能だと思う。