永遠平和のために (岩波文庫 青 625-9)

  • 岩波書店 (1985年1月16日発売)
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三批判書で有名なドイツ哲学者イマヌエルカントの平和論。「目的の国を目指しましょう」というような啓蒙的内容を想定していたが、むしろ政治哲学的な内容であった。本文では、永遠平和のために求められる条項が解説とともに挙げられ、補説・付録で永遠平和の実現可能性や道徳と政治の関係性について語られている。割と難解で、自分も1周目では完全な理解は得られず、読了後ざっと読み返してようやく理解出来た。読解に労力を要するので、今回は「本書を読まなくても内容を把握できるように」というテーマでレビューを書くことにする。本書を読むにしても、本レビューを参照してから本書に取りかかることによって理解の助けになると思われる。

まず、本文について。

第一章では、予備条項と題して6つの禁止条項が挙げられている。具体的には、常備軍の廃止、他国への暴力的干渉の禁止、卑劣な敵対行為の禁止、などといった内容であり、戦争に発展し得る要素を排除するという、いわば"消極的な"施策となっている。一方、第二章ではより"積極的な"平和への施策として、国法、国際法、世界市民法のそれぞれの観点で3つの確定条項が挙げられている。

第一章は決してMECEではなく、むしろ思いつきで語っているような印象を持つ。著者の観察において戦争の要因となったと考えられる、もしくは今後なり得ると想定されるものを挙げ、それを禁止したというプロセスであると考えられる。それに比べ第二章の方が個人的に興味深かったため、以下に少し深掘る。

カントはまず自然状態として、ホッブズが想定したような戦争状態を想定する。この敵対行為によってたえず脅かされている状態から平和状態を創設するためには、民族が国家として集結し、立法状態を築く必要がある。この立法状態として、社会の成員が自由かつ平等であるために最も理想的なものが共和的体制であり、これにより国民の一般意志が国家の意思として統合されることができる。君主制による専制的統治においては、戦争によって直接的負担を受けにくい君主が戦争の意思決定をするため戦争の決断が容易にとられるのに対し、共和制では戦争の回避を望む国民の意思が反映されるため、戦争に発展しにくいとされる。

続いて、国家間の関係について考察される。共和制の下に統一された国家は国民の一般意志が国家の意思として反映されているため、国家を一つの個として考えることができる。したがって、国家同士の関係についても前述の通り戦争状態から平和状態への移行として立法が求められる。しかし、国家形成の場合と異なり国家間の関係においてはさらに大きい国家への併合、すなわち諸民族合一国家の形成はいずれの国家も望まないし、また同時に、望ましくもない。なぜなら、法は統治範囲が拡がると共に重みを失い、無政府状態に陥ってしまうためである。このとき、立法状態を構築するための消極的代替物として、国家間の連合形成が提案される。

これだけではまだ議論は完全ではない。国家内では国法による統治がなされ、国家間では国際法による一定の安定が期待されるが、国家内の個人が他国家の個人と国家を通さずに接触する場面が考えられ、この状態にもなんらかの法による秩序形成が求められる。この場面としては具体的に、現代的な観光による他国への訪問だけでなく、近海に近づく船を略奪する、漂着した船員を奴隷にする、といった状況が想定されている。これらの場面に置いて、外国人というそれだけの理由で敵意をもって扱われるべきではない、というのがカントが考案する世界市民法である。地球の表面は球面であり、地表は有限であることから、人間は並存し互いに忍耐しなければならず、地上のある部分について他人よりも多くの権利を所有するということはないと考えられる。この事実から、他国に存する者に交際を申し出るという訪問の権利が保障されるべきであるとされる。この世界市民法の理念が国法や国際法に書かれていない法典を補足することができ、この条件の下でのみ永遠平和にむけて前進することができると述べられている。

以上が本文である。続く補説は、世間に対する反駁のような内容となっている。すなわち、第一補説では「永遠平和は空想にすぎないのではないか」という反応に対する反駁が述べられ、第二補説では哲学者への弾圧に対する反駁が述べられている。第二補説は哲学者の意見は有益であるといった内容で、第一補説がメインとなっている。以下概要。

「永遠平和は空想にすぎない」という文言に対してカントは、人間の義務や理性、道徳に着目する議論ではなく、自然の摂理が永遠平和に向かっているという議論をする。具体的には、自然は人間が地球上のあらゆる地域で生活できるように配慮し、それだけでなく戦争を用いてあらゆる地域に分散して生活するように仕向けた。そして、同じく戦争を用いて、人間が法的関係に立ち入り国家を形成するように強制し、また、民族間に言語と宗教の違いを設けることにより、諸民族一国家ではなく国家間で生き生きとした競争による力の均衡と平和の確保に導いた。さらに、戦争とは両立し得ない商業精神の導入により、個人の利己心を通じて諸民族を結合し、民族の安全を保証した。これらの観察により、永遠平和は空想的ではなく現実的なものとして確実性を確認することができ、それに向けた努力の意義を感じることができるのである。

最後に、付録について。付録では、道徳と政治の関係性について述べられている。多くの政治家は、道徳を実践から乖離し浮き世離れした理論的な概念に過ぎないと批判するが、カントによると、両者の間に矛盾や対立は存在し得ないとされる。なぜなら、カントの考える理想的な政治は、国家の繁栄や幸福といった目的を設定した後にその達成に向けて前進するものではなく、定言命法を基礎として純粋実践理性の実現と正義を積み重ねることにより自然と目的の達成に導かれるものであり、これは道徳の実践に他ならないためである。

ここで、定言命法については明確に定義されているが、そこから積み重ねるべき正義とはなにであろうか。カントは、政治が道徳と一致しているかの基準として、「格率が公表性と一致しないものはすべて不正である」と規定する。これはつまり、公表できない格率、および公表することによって意図の実現が失敗する格率は、その格率が人間のアプリオリに理性にもつ規準に反していることを意味し、すなわち純粋理性に反することが明らかになるためである。


以上が本書の要約である。本書の価値としては、人間の利己性を前提としてなお永遠平和の実現可能性を指摘しており、さらにそれに向けて求められる体制を予備条項、および確定条項という形で建設的に議論した点である。1795年出版であるため、現代から振り返ると具体性に欠ける記述や世界大戦を通して反証された記述も少なくない。それでもなお、困難と考えられる永遠平和の実現について現代人に一筋の光を与えてくれる作品である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年11月16日
読了日 : 2020年11月16日
本棚登録日 : 2020年11月16日

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