子どもは判ってくれない (文春文庫 う 19-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2006年6月9日発売)
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感想 : 90
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愛読書の樹さん。

この作品はいまいちぐいぐいこなかったのはテーマのせいかな。
国家とか、人種とか、ちょっと政治的な話が多いためか、共感しまくって読むっていういつもの感じではなかったです。

その中で、「呪いの言葉」の話はずしんと胸に来ました。
セクシャルハラスメントのハラスメントとはなんぞや、という話からのつながりだったのですが、つまり、ハラスメントとはそれによって、自分の自由が奪われて拘束されるものである、と。
それはわかりやすく言えば「呪い」である、と。
日常にあふれる呪いの言葉の例として 

 「あなたのためを思って言っているのよ」

 「何が気に入らないのか、はっきり言いなさい」

 「お願いだから、私の気持ちも分かってよ」

 「おまえ俺をナメてんのか」など、こういうことばを投げかけられると、確かにぐっと言葉につまってとても息苦しい。
 よく意味がわからないけど、自分が責められていることはよくわかる。
 そもそも、これらの言葉には、答えなど求められていないというのだ。

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 このような「絶句」状況に他人を追いつめることを(それとはしらずに)好む人がいる。他人が自分の問いかけによって言葉を失い、青ざめ、うつむき、沈黙のうちに引きこもるさまを見て、ある種の愉悦を引き出すことのできる人がいる。 

 むろん、本人はそんな「邪悪」な欲望が自分を駆動していることを知らない。しばしば呪いをかけている人間自身は(意地の悪い教師がそうであったように)、自分の行動を動機づけているのは教化的な善意だと信じている(場合によっては、「愛情」だとさえ)。

 「絶句させる人」が有害なのは、たんに「相手に影響を及ぼす」からではない。影響力が及んだことの確証として、相手が自分から逃れられないように「縛り付けられた」姿を見ようと望むからである。

 相手が自分の言葉によって「縛りつけられ」、身動きできなくなっているありさまを、深く親密な、かけがえのない関係の成就だと勘違いする人、それが「呪いをかける人」である。
 
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人が無意識のうちに相手を拘束し支配しようとする言葉、あるわあ~。
私、けっこう言われるわあ~。

でも、それが呪いの言葉であると分かっているということは、呪いに絡みとられないためにとても必要なことだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2011年10月16日
読了日 : -
本棚登録日 : 2011年10月16日

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