三国志 第八巻 (文春文庫 み 19-27)

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  • 文藝春秋 (2012年10月10日発売)
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遂に曹操が死んでしまったが、その前に関羽。
一枚岩かと思われた劉備と関羽と張飛だけれども、諸葛亮が加わることによって亀裂が生じた。
諸葛亮が加わる前は、「国のために正義を尽くすぞ!」という一念で繋がっていた三人。
その正義は必ずしも後漢王朝のための正義ではなく、自分たちにとって都合の良い正義だったとしても、本人たちの心はまっすぐであった。

けれども、今の国のかたちが正義ではないのなら、正義の国を創ろうじゃないか。
そのためには人材が必要だ。
と、諸葛亮を加えたことで、目的のために手段を問わないことも出て来た。
詭弁をもって謀るようになったのだ。
それが、関羽には耐えられなかった。

諸葛亮を重用する劉備から少しずつ距離を置くようになった。
劉備も、同じだったのかもしれない。

関羽は無頼の徒であったとしても気性はまっすぐだったので、孫権の言動には実がないことに気づくのが遅れてしまった。
また、厳しすぎる関羽を憎んでいるものが身内にいることにも。

突然呉軍が背後を攻めた時、守り抜いてくれるはずの味方がさっさと降伏してしまったことも、単独行動だった故援軍を頼むことができなかったことも、関羽には想定外だっただろう。
でも、それは関羽が蒔いた種ともいえる。
それでも最後の関羽の戦いっぷりを、誰も非難することなどできないだろう。

曹操が亡くなり、曹丕が後を継いだと思ったら、献帝からの禅譲の話。
曹操・曹丕親子が献帝に無理やり禅譲を迫ったと今まで聞かされていたが、この本によると(つまり史実によると)献帝からの申し入れ。
そして何度も断る曹丕。

思うに、このタイミングでの禅譲ということは、曹操にも過去に持ち掛けていたのではないかと思われる。
けれど曹操が相当はっきりときっぱりと、半ば脅すように断ったのではないかな。
「私を逆賊にするつもりか!」くらいな事を言って。
で、曹操がいなくなったタイミングで曹丕に禅譲。
だって、勧める、断る、勧める、断るのやりとりは、いわばお約束のはず。
そういう三文芝居みたいのは曹操が嫌うところのものだから、「二度と言うなよ!」くらいの強い言葉で断ったのではないかと。

さて、多くの臣が止めるのも聞かず、関羽の敵を討ちに呉に宣戦布告する劉備。
しかしやっぱり彼は戦下手なので、多くの犠牲を出しながら、仇も討てないという体たらく。

”いわゆる礼儀をことごとくないがしろにしてきたがゆえに、帝位に昇るという最大の無礼を平然とおこなうことができたとはいえ、白帝城にとどまったまま、成都へ帰ろうとしない劉備に、いつもながらいさぎよさがみられない。”

国を治めることを中断してまで出兵して、負けたのに帰ってこない皇帝。
無責任にもほどがあるけれど、彼を選んだのは蜀の民だからね。しょうがない。
関羽を失うことでそれほど意気消沈するのであれば、なぜ彼を一人取り残していたのか。
家族すらあっさり見捨てる劉備が、唯一失いたくなかったのが関羽と張飛という事か…とも思ったけど、一度関羽を見捨てて逃げたよね。
やっぱり劉備ってよくわからない。

魏の皇帝となった曹丕についても思ったことはいろいろあるけれど、それは次の巻にでも。
覚えていれば。

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感想投稿日 : 2022年6月2日
読了日 : 2022年6月2日
本棚登録日 : 2022年6月2日

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