名前は聞いたことがあるけれど、何をした人なのか?
幼い頃より松下村塾に通い吉田松陰に兵学を学び、その後大村益次郎から軍事学を学んだ用兵の奇才と言われたのが、この山田顕義だ。
前に出ていくタイプではないこと、50歳を前に夭折したことなどで歴史的にはあまり有名ではないけれど、この本を読むと、とにかくすごい。
幕末の、長州が関わった戦いにはほとんど参加しているし、戊辰戦争(対長岡戦)でも、西南戦争でも、苦戦している戦いを勝利に導いたのは、彼の作戦によるところが大きい。
ただし、苦戦していたのが同郷の山県有朋だったのが不運で、器が小さくて上昇志向が人一倍強い山県有朋は、山田顕義の手柄を認めることなく、最終的には陸軍から追い出してしまうのである。
大体どの本読んでも山県有朋をよく書いている人がいないのだから、本当にこの人って…。
目の上のたんこぶとばかりに山田のことを邪魔に思っていた山県は、岩倉使節団に山田のことを送りこんで体よく厄介ばらいをし、その隙に軍の中の山田の居場所をとり上げてしまったのだ。本当にこの人って…。
欧米を視察しているうち、山田はナポレオンに心を惹かれていく。
軍人として傑物でありながら、フランスの法典を作ったナポレオン。
ナポレオンの肖像画を見ながら、こういう人間になりたいと山田は思った。
“大久保利通はヨーロッパの現実に気炎を吐く英傑ビスマルクに傾倒し、山田顕義は今も虚像となってヨーロッパ人に渇仰されるナポレオンに魅せられて、祖国へ帰っていくのである。それはヨーロッパを武力で席巻した軍人としてではなく、後世に伝える法典を生み遺した偉人としてのナポレオンであった。”
けれど、実際に山田が司法に携わるのはもっとずっと後のこと。
閑職についても実務に秀でている山田は、木戸孝允の下で視察の報告書を作り、政府に数々の提言をしている。
人の心の機微がわかり、実務にたけている山田が常に山県の陰にまわる羽目になるのは、年齢のせいだけではなくて、政治的な欲がないから。
憲法の起草にもかかわったが、山田が主として作り上げたのが民法と商法。
その先見的な家族の在り方や、公平に開かれた商取引の下地つくりは、既得権益を守る人たちから猛反対を受け、山田が準備したほう分が日の目を見たのは彼の死後、第二次大戦での敗戦後のことなのである。
長州藩に対する思い入れが強すぎるきらいがあるので、歴史小説としてはどうかと思うけれど、知らなかった歴史を知ることができたのは良かった。
- 感想投稿日 : 2016年12月18日
- 読了日 : 2016年12月18日
- 本棚登録日 : 2016年12月18日
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