神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

  • 河出書房新社 (2009年4月3日発売)
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目次より
・天国篇
・詩篇

天国篇はほぼ宗教論に終始していて、今までの映像的な描写は格段に少なくなり(挿絵も激減)、小難しいやり取りが続きます。
“君たちはおそらく
私を見失い、途方に暮れるにちがいない”

さて、地獄篇からの懸案事項、「キリスト以前に死んだ善人が地獄にいることの是非について」にとうとう回答が!

“その男の考えること、為す事はすべて
人間理性の及ぶかぎりでは優れている。
その生涯を通じ言説にも言動にも罪を犯したことがない。
その男が洗礼を受けず信仰もなくて死んだとする。
その彼を地獄に堕とすような正義はどこにあるのだ?
彼に信仰がないとしてもそのどこに罪があるのだ?”

“天の王国は熱烈な愛と熾烈な望みによって
掟が破られることを許すことがある。
それらが神意にうち勝つのだ。
人が人に勝つのと同然ではない。
神意が負けることを望むから勝つのだ。”
問いに対する答えがこれ。
熱烈な望みがあれば、掟をまげて天国に受け入れることもある。
ただし、それは人が神に勝ったというわけではなく、あくまでも神が受けいれようと思ったからだ、と。
つまり神の自在定規ってこと。

“そしておまえら現世の人間よ、判断はけっして迂闊に
下さぬがよい。神を見る我々の目にも
神に選ばれるべき人々の姿がみな映るわけではないのだ。”
そして神の決定に口を出すな、と。

アダムとイブが楽園を追われたのも、禁じられたリンゴを食べたからではなく、リンゴを食べることによって神と同等の存在になろうとした高慢のためにだというのには納得。
なるほどね。

地獄が非常に感覚に訴えるものであったのに対して、天国篇は論理的。
“人は感性で知覚されたものから
はじめて知性に適するものを学び取るからです。”

宗教って感覚的なものから始まるけれど、最終的には論理に向かう。
それはつまり、人間はそういうものだからだ。

…ということしかわからんかったわ、結局。
そして、天国で、一糸乱れぬポーズでうじゃうじゃといる天使がとても気持ち悪い。居心地が悪いと思う私は、とても罰当たりです。

自分らしさ=業ってことなのかな。
自分らしさ、人間らしさを捨てないと天国に行けないのであれば、人として生まれた意味は何なのだろう?
やっぱりもっと勉強しないとダメですか?
ちょっとしんどいな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2017年2月12日
読了日 : 2017年2月12日
本棚登録日 : 2017年2月12日

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