タイトルの「HHhH」は、「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」という文章のドイツ語での略称。
ヒムラーは聞いたことがあるけれど、ハイドリヒは聞いたことがなかった。
誰?
”ハイドリヒはナチス・ドイツの悪名高きゲシュタポ長官にして、〈第三帝国で最も危険な男〉〈死刑執行人〉〈金髪の野獣〉などと呼ばれ、「ユダヤ人問題」の「最終解決」の発案者にして実行責任者として知られている人物である。”(訳者あとがきより)
この小説は、このハイドリヒをチェコスロヴァキアの兵士が暗殺するまでの話だ。
しかし、これを小説と言っていいのか。
真実を捻じ曲げないために過剰なまでに小説的な表現を避ける作者。
ドラマチックに書こうと思えばいくらでもドラマチックにかける題材を、淡々と文献で確認のとれたことだけを書いていく。
その代わり作者が何を考え、感じ、事件を、登場人物たちをどう思っているか。
その表現手法はどのような意図で選択したのか。
こと細かに作者は語り続ける。
”〈歴史〉だけが真の必然だ。どんな方向からでも読めるけれど、書き直すことはできない。”
ハイドリヒについて執拗に語り続ける作者が、その暗殺者たち、ある意味この小説の主人公たちと言っていい彼らをストーリーに組み入れるまで200ページ近くもかかる。
(名前だけなら最初から出ているということに気がついたのは、読み終わってからだった)
暗殺者がなぜ二人いるのか。
ナチス・ドイツはチェコスロヴァキアを分断し、チェコを占領し、スロヴァキアは形の上では独立を認めたのだ。
イギリスに逃げたチェコ政府の高官は、チェコスロヴァキアの威信をかけて二人の暗殺者を選び出した。
この辺の歴史には詳しくないので、暗殺が成功したのか失敗したのかはわからない。
本来なら手に汗握って読むところだけれど、作者がそれを望まないのでしょうがない。
淡々と描かれた文章を淡々と読む。
が、時間は止まらない。
暗殺のシーンの後も話は続く。もちろん実際にも。
そして、暗殺というのは殺す人と殺される人だけのものがたりではないのだ。
愛する祖国のために暗殺者たちに協力する人たちがいる。
上司の機嫌を損ねないために必死で犯人を捜そうとする人たちがいる。
メインの登場人物たちではない、名もない(実際にはあるけど)人たちの話を読みながら心を打たれている自分がいた。
”この物語も終わりにさしかかり、僕は完全に虚しくなっている自分を感じる。ただ空っぽになっているのではなく、虚しいのだ。ここでやめてもいいけれど、ここでやめたのでは具合が悪い。この物語に協力してくれた人々は、ただの脇役ではない。結局は僕のせいでそうなってしまったのかもしれないけれど、僕自身はそんなふうに彼らを扱いたくない重い腰をあげ、文学としてではなく―少なくとも僕にその気はない―あの一九四二年六月十八日に、まだ生きていた人々の身に何が起こったかを記すことにしよう。”
作者が書きたかったのはそれだったのだ。
限りなくノンフィクションのような小説。
歴史を作っているのは、その時を懸命に生きた人々なんだなあと思い知らされる。
- 感想投稿日 : 2019年10月17日
- 読了日 : 2019年10月17日
- 本棚登録日 : 2019年10月17日
みんなの感想をみる