明日の子供たち

著者 :
  • 幻冬舎 (2014年8月8日発売)
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他人をかわいそうだと思ったり、助けてあげたいと思う気持ちは悪いことではない。しかしながら自分たちの勝手な思い込みでそう思う気持ちが一人歩きし、知らない間に人を傷つけることがあることがある。

ソフトウェア会社の営業から児童養護施設に転職してきた三田村慎平は、「だから俺もあんなふうにかわいそうな子供の支えになれたらなぁ」と、三田村がかわいそうな子供と思っている奏子に転職理由を話す。何とも、思慮分別のないお粗末な展開であろう。「あなたは、可哀想な子だから、僕があなたの支えになってあげたいんだ。だから僕はここに転職してきたんだよ。」と言われているように聞こえる。もし、私がそのように言われたら「あなたにそんなこと言われ筋合いはない。上から目線で、何を言ってるよ。私はかわいそうでもない。」と言い返したくなりそうだ。

本作には「かわいそう」という言葉が何回も出てきている。また、私を含め、多く人に無意識に据え付けられている児童養護施設やそこに入所している子供たちに対するイメージはどんなものであろうか?

両親がいない、虐待など、家庭環境に何らかの問題を抱え、家族からの愛情を受けることができないあるいはできなくなったが子供たち。私たちはメディアなど通して児童養護施設で過ごす子どもたちに対して「かわいそう」「恵まれない」などのイメージを刷り込まれている。さらにはそういう子供たちは愛情に飢えて、心がやさぐれでいると勝手な解釈をしているのではないだろうか。少なくとも私は施設で育った子供たちが全員ではないにしろ何人かは当てはまるだろうと大きな思い違いをしていたようである。

確かに出来ること、出来ないことの制限はありそうだが、その制限が厳しいかどうかは、比較の対象となる子供たちの制限を施設の子供たちが知らない限り、彼らは、実際に自分が制限されている環境に置かれているとは感じることができない。かわいそうな環境も然りである。

そう思いながら読み進めていく中で「子供たちを傷つけるのは親と一緒に暮らせないことより、親と一緒に暮らせないことを欠損と見なす風潮だ。」の奏子のプレゼンから見つけた時、欠損であると思っていない自分たちに欠損者として向けられる視線を、彼らは敏感に感じており、その視線が彼らを欠損者にしてしまうということを作者も感じていることが解り、そしてこのセンテンスに共感した。

本作で立場が異なる人の環境というものを、理解するための考え方のようなものを学んだ気がした。

追伸: 「人生は一人に一つずつだけど、本を読んだら自分以外の人の人生が擬似体験できるでしょう。物語の本でも、ドキュメンタリーでも。そうやって他人の人生にを読んで経験することが、自分の人生の訓練になっていることがあるんじゃないかって、…」この言葉が、深く感じた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年6月24日
読了日 : 2020年6月24日
本棚登録日 : 2020年6月24日

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