ひんやりとして滑らかな石の肌を、くちびるでなぞる感覚がいつまでもずっとついてくる。カイヨワはここに人工物と自然との和解を見出そうとしているのだけど、私の中には解けない疑問が残る。なめ石の温度と感触と同じく、そこにあって、これからもずっと感じ続ける気がする。
1)自然のこしらえものは、人が見なくてもそこにあって、かつ人の想像を超えるうつくしさを持つ。受粉や種子散布という戦略のために甘い蜜や綺麗な果実をもつ植物もあるが、瑪瑙の縞目に目的はないだろう。それではその文様は、色は、なぜうつくしいのか?
→これに関しては、その意図しない偶然の要素が生んだ自然物をうつくしいと感じる鑑賞者の目の側のマターなので、これこそがカイヨワの感じていたことなのかもしれないが。
2)うつくしい鉱物は、博物館に展示されている状態が果たして「自然」か?
→自然ではない。しかし、無人の森の中で木が倒れたら、音はしない。そうなんだけど、でもね。
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- 感想投稿日 : 2023年8月20日
- 読了日 : 2023年8月17日
- 本棚登録日 : 2023年8月17日
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