資本主義という病: ピケティに欠けている株式会社という視点

著者 :
  • 東洋経済新報社 (2015年5月15日発売)
3.28
  • (1)
  • (7)
  • (7)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 96
感想 : 11
4

ピケティに欠けている株式会社という視点、という副題がつけられている書籍で、実を言うともしかして、ピケティを読んでいなくても別の意味で役に立つ本かもしれない。株式会社の成り立ちのいきさつや、日本でたどった特異な歴史に触れられているからである。
 読み始めると、株式会社について相当にながい記述が続く。また、著者の前身が記者で、そこで取材されたことや、目にしたことが、書かれる。あれ、と思うのだが、それは、もう、続く。株式会社が産声が上げた頃からの話だ。そして、それが実を結ぶのは、株式会社が、一方で株式会社の実質的所有者である株主の有限責任、つまるところ、株主は、買った株に出資した以上に責任を問われることはない、ということ、に対して、株式会社が引き起こすかもしれない危険と矛盾だ。日本では特に、法人に刑法が適用されるか、は重大な論点になっていた。エンロン事件で、顧客に多大な損害を与えながら、経営者はストックオプションを利用して莫大な利益をあげている、矛盾。アメリカでは、彼らに懲役刑を科したが、日本では福島の地震で引き起こされた東電へ責任を問う術のない事実である。そこでは、弱い立場に立たされた者が、一層弱い立場に立たされる矛盾が内包されているのである。
ここでは、株式会社の矛盾が二重の意味で重くのしかかっている。つまるところ、株式会社が有しているところの責任財産である資本以上の損害を手当てする方法が実質に実現不能になる可能性と、法人である株式会社に対する刑法の適用の不能である。
 そして、これがどうピケティと関係するかだが、ここで現在のお金持ちがどのようにお金持ちになったか、である。土地などの不動産については出発点の差として扱われているが、おおくは金融であげた莫大な利益のつくりだした格差であるとする。彼らの多くが会社の経営者であることを考えるとストックオプションなどから相当に利益がもたらされている可能性がある。そもそも、ストックオプションは雇用者の財形に寄与することを意図してつくられたものであったのに、である。思うに、一定以上の利益は、還元する仕組みをつくるべきなのではないか、例えば、会社の資本に還元するとか、そうでなくても、温暖化に備える基金をつくってそこに資金としていれられるようにするとか。株式会社のひきおこす可能性のある将来を考えると、むしろこうしたほうがバランスがよいのではないか。
 この本は、ピケティの提示する不等式と、実は対する視点を出しているわけではない。しかし、株式会社のかかえる問題の延長上に格差のある問題もあるようだ。
  

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年11月23日
読了日 : 2023年3月17日
本棚登録日 : 2022年10月30日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする