子どもの貧困: 日本の不公平を考える (岩波新書 新赤版 1157)

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  • 岩波書店 (2008年11月20日発売)
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読み終えた上での、再配分に対する自分の考え

「成人するまでの機会の平等を担保するために、貧困世帯のこどもには機会への平等なアクセス権(無償化、学習支援など)、親には必要な額の支援(あくまで機会の平等のため)が必要である」


努力不足によって所得に格差が生まれることに問題はない。ただ、それでも結果として貧困になった個人には、最低限のセーフティーネット(生活保障)と、努力次第で再起できる機会(職業訓練 / 教育機関での学び直し)は与えるべき。また、その所得格差が次の世代の子どもにまで連鎖するのであれば、それは生まれた時点で差がつくため、機会の平等が保たれているとは言えない。

よって、連鎖が生まれない、また、生まれた家庭環境・地域・国籍にかかわらず、こどもの機会の平等が保たれるためには、貧困・低資本世帯のこどもと、親への支援が必要である。

親への支援に関しては、こども機会の平等に必要な金額以上の支援は、正当に努力して高所得を獲得した世帯との不平等が生じてしまうため、あくまで「➀こどもの機会の平等を保つため」、「➁競争に敗れたとはいえ、人として最低限の生活を送るため」の2つの目的達成のためにのみ行われるべき。

理屈はこうだが、高所得者の人が「理屈は理解できるけど、自分は頑張ってその結果としてお金を手にしたのに、頑張ってもない人に再分配したくない」というのはすごくよくわかる。ここをどう解決するか。(親ではなく、こどもに再分配する、再分配によって努力しようとしているか、継続監視する→マイクロファイナンス?)


こどもの機会の平等のためには、「家庭内の治安の改善と介入システム」、「公的教育機関の教育の質」、「私的教育機関の無償化」、「労働人口増加」あたりが鍵になりそう。

いかに1人1人の国民と経営者が格差問題を、
・「自己責任」の一言で片付けず、
・こどもとその生活環境や文化資本の差に目を向け、
・払っている税金など、”一部”ではなく、”全体”のお金の流れを意識でき、
・貧困家庭のこどもの不平等に共感→同感でき、
・共感している人たちが、このシステム実現のための実行力を持てるか、
が最大の焦点。

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感想

低所得者への再配分は、「努力が足りないだけ」という自己責任論に行きがちだが、「そもそも貧困家庭に生まれた時点で、教育へのアクセスや家庭環境等で、ディスアドバンテージがある」・「金銭面だけでなく、家庭環境や学力による低い自己効力感」など、こどもの自己コントロールでは管理しきれない影響がたしかにあるために、自己責任論は適切ではなく、きちんと社会全体で支援をするべきである、という論がとてもしっくりきた。

機会の平等には、2つの条件がある。1つは「公平な競争」で、もう1つは、「だれでも頭がよく生まれる確率が等しくあり」、「生まれつきの遺伝子ではなく、後天的な学習と自由意志によって、だれでも頑張れば」それなりの業績をあげれるという前提。

しかし、貧困家庭のこどもは、頑張らなくて学力が低いのではなく、生まれた環境のために自己肯定感、自己効力感が低く、努力できていない。これは、前提に立っていない。そのため、支援を受ける権利がある。

こどもの貧困を解決するためには、親への金銭的な支援も必要になるが、それは機会の平等という観点で難しいなと感じた。貧困家庭に生まれたとか、障害があるとかだったら理解されそうだが、単に努力不足で収入が低い場合、支援の正当性やインセンティブ設計をどう担保するのか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2019年7月8日
読了日 : 2019年7月8日
本棚登録日 : 2019年7月8日

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