『内密出産』という制度があるそうです。2014年頃にドイツで開始されたこの制度は、予期せぬ妊娠をしたことで名前の公表を希望しない母親が、出産を受け入れる病院だけに身元を明かして出産する。そうして生まれた子どもは一定年齢に達した段階で病院がその出自を伝えるという制度だそうです。日本では2007年に熊本市の慈恵病院が『こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)』を設置して大きな話題となりました。そして2019年12月の記者会見で同病院はこのドイツの制度を導入することを発表しました。『子供が欲しい親、やむなく捨てる親』、家族の形が大きく変化するこの時代に新しい命をどう取り扱ってゆくのか、『何よりも大事なのは子供の命です。生きることです』。赤ちゃんポスト、そして内密出産、今後出産はどのようになってゆくのでしょうか。
『大騒ぎになるのだとばかり思っていた。私を囲み、その前に倒れるお母さんを見て仰天しながら、私を取り押さえてつかまえてしまうはずだった。…私は加害者』という何か重大なことが起きたことを悟らせる序章からこの物語はスタートします。『どこ、いるんだろうね、チエちゃん。心配、すごく心配』という旧友の古橋由紀子を訪ねたフリーライターの『私=神宮司みずほ』は、幼なじみであるチエミの消息を掴むため、その後も実家のある山梨県甲州市に住む友人や小学校時代の恩師を順に訪ねてまわります。『今年四月、望月チエミの自宅で彼女の母親、望月千草が脇腹を刺され、死んでいるのが発見される』というニュースが駆け巡ってから数ヶ月。チエミを重要参考人とする警察の必死の捜査も芳しくなく『今や、容疑者の命を絶望視する方向へと傾き始めている。自分のやったことの罪の重さに耐えかねて、今頃はもう、きっとどこかで』という状況の中『まず知りたいの。あの家に、何があったのか』とチエミの手がかりを探すみずほ。一方でみずほは国内唯一とされる『天使のベッド(赤ちゃんポスト) 』を設置する富山県の高岡育愛病院の医師を尋ねます。当たり障りのない回答で取材を終えようとした瀬尾医師に みずほは『勘違いなさらないでください。施設の存続をお願いするために来ました』と告げるのでした。そして物語はチエミの行方を探し求めるみずほと赤ちゃんポストの存続の行方などが複雑に絡み合って展開していきます。
冒頭の衝撃的な序章のあと、第一部と第二部から構成されるこの作品。第一部では、みずほの山梨県での旧友、そして恩師への取材過程が淡々と描かれていきます。その中では、みずほと母親、そしてチエミと母親という近所に暮らす二つの全く異なる母娘関係の裏表が次第に明らかになっていきます。『私は確かに彼女たちと自分を違うと思っていたが、そう思っていることまで含めてあの場所ではっきりと浮いていた』という山梨を出て東京で暮らすみずほの生き方と『ずっと一緒に、お母さんたちとここで子供を育てる』と考え山梨に生きるチエミの生き方。考え方が異なる幼馴染の二人。その生き様がそれぞれの母娘関係と共に見事に対比させて描かれていました。
また、この作品で強く印象に残るのは、やはり『赤ちゃんポスト』のことだと思います。フィクションとして富山県の病院に設置されているとした上での問題提起。『それやっていいの?子供捨てるのって犯罪なんじゃないの?』、『私、逆に配達してくれるのかと思った。子供いない人のところに赤ちゃん、くれるのかと思ってた』というように みずほの友人たちには知識がほぼないという前提設定のもと、『関心を払わせるという意味では、「赤ちゃんポスト」の強い名称は成功していたと言える』と書かれる辻村さん。ただ、象徴的に問題提起したかに見える割には、少し尻すぼみのような取り上げ方が少し残念ではありました。
そして、地道なみずほの取材が淡々と描かれていた第一部に対して、作品は第二部に入って一気にそのスピードが上がり、辻村さんの『謎解きモード』に突入します。その中で、この作品のタイトルの意味も判明し、すべての謎が明らかになりますが、第一部に比してあまりの急展開に少し面食らってしまったのも事実です。また、その分、若干の消化不良感も残りました。ただ、500ページもの物量を考えると、これ以上は集中力がもたない感もあり、これはこれで仕方ないのかなとも思いましたが、第一部と第二部のバランスの悪さはどうしても気になりました。
2009年の直木賞の候補となったこの作品。「冷たい校舎の時は止まる」から続いた思春期の少年少女の心理を、主に学校を舞台に描いた作品群が辻村さんの一番の魅力だと思っていますが、近年、人のドロドロとした内面を執拗に描いていく大人な作風に変化されてきています。この作品は、その中間やや近年よりという印象を受けました。自らの持つ価値観とは異なるコミュニティで、それを実感しながら、自分の中に異物感を抱きながら育った みずほ。でも幼馴染のことを思い、その今を憂うことのできる みずほだからこそやり遂げることのできた納得感のある結末を感じさせてくれた作品でした。
- 感想投稿日 : 2020年5月11日
- 読了日 : 2020年5月10日
- 本棚登録日 : 2020年5月11日
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