後悔病棟 (小学館文庫 か 46-1)

著者 :
  • 小学館 (2017年4月6日発売)
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『もしも人生をやり直せるとしたら、何歳に戻ってみたいとお考えですか?』

漠然とそんなことを訊かれても困りますが、長い人生を生きていると、その人生は決して一様ではなく、あの時、あの瞬間と思える分岐点が幾つかあったことに気づきます。あの時どうして○○しなかったんだろう。あの時どうして○○なんて言ってしまったんだろう。人によってその○○は異なりますが、何かしらそんな思いを抱えながら人は生きているように思います。それは『後悔』という言葉で表される感情です。人は何かしら『後悔』する思いを抱えながら生きています。そんな『後悔』は思わぬ形であなたの前に姿を見せることもあるかもしれません。『こんなに早く死ぬとわかっていたら、好きに生きればよかった』、と○○しなかったことを人生の最期の瞬間まで悔いるようなことがあるとしたら、それは死んでも死にきれない思いをこの世に残すことになりかねません。そう、人は自分の寿命を知りません。でも、不治の病に侵され死と対峙するような環境に置かれるとそれは一気に他人事ではなくなります。だからといってそんな状況に陥ったとしても過去を変えることができるわけではありません。『ああ、やり直したい。かけがえのない、たった一度きりの、俺の人生…』とただただ悔いる辛い瞬間の到来。そこには、新たに『後悔』の念が生まれるだけです。

しかし、この世にはそんなやり直せないはずの過去をやり直すことができる聴診器があるのだそうです。『心の声が私には聞こえるんです』と言う主人公のルミ子。『この聴診器さえあれば、たったの五分やそこらで扉の向こう側の世界を体験させてあげることができる』というその聴診器を胸に当てる時、患者の心の中に浮かび上がる扉。『その扉を開けてみてください』とルミ子に言われて押し開けたその先に、まさかのあの『後悔』の瞬間に戻った自分の姿を見る物語。この作品は『安らかに死』を迎えるために、『後悔』の瞬間へと飛翔する人の心を見る物語です。

『「先生は何歳ですか?」唐突な質問に、私は一瞬たじろいだ』というのは主人公の早坂ルミ子。『抗癌剤の副作用で髪が全部抜け落ちた』この患者を苦手だと思いつつも『三十三歳ですよ』と返すルミ子に、『へえ、先生って私と同い歳だったんだ』とぞんざいに答える患者の小都子(さとこ)。『彼女はもう長くない。癌が全身に転移している』という小都子に今度は『先生は結婚してるの?』と訊かれ『いえ、まだ独身ですが』と答えたものの『死期が迫った患者の前で、〈まだ〉という言葉は使うべきではなかった』とすぐに後悔するルミ子。そんな時『あら、まだ回診中だったんですね。先生、すみません』と彼女の母親が入ってきました。『無機質な病室に大輪の花が咲いたよう』に感じさせるその母親は『大女優の南條千鳥』でした。『小都子、気分はどうなの?』と訊く千鳥に『ねえママ、もうすぐ死ぬとわかっている人間の気分がいいと思う?』と『問い詰めるような言い方』をする小都子。『戸惑った表情のまま私の方をちらりと見る千鳥に、『精神安定剤を出しておきましょう』とルミ子は言います。『先生、ありがとうございます』と応える千鳥にほっとするルミ子。一方で『薬なんかで、本当に気持ちが落ち着いたりするの?』と疑わしげに見る小都子に『効かない人もいますけど、試してみる価値はあります。効けば安らかな気持ちでいけますから』と返すルミ子。その時『えっ?』と『南條千鳥の顔色が』変わりました。『では、お大事に』と逃げるように病室を出たルミ子。そして『廊下を曲がったとき』、『先生、ちょっと』と鋭い声に呼び止められたルミ子。そこには『息を切らせて追いかけてきた』千鳥の姿がありました。『この病院には、もっとまともな医者はいないんですか!』と『いきなり怒鳴りつけられた』ルミ子。『安らかな気持ちであの世に逝けるなんて、よくもまあ本人の前で…』と怒りがおさまらない千鳥は『先生は愚かだと思われるかもしれません。でも、私は奇跡を信じているんです』と訴えます。『癌細胞は今も増殖を続け、小都子は日に日に弱ってきている。死を待つばかりの状態だ。奇跡など起きるはずがない』と思うも『申し訳ありませんでした』とルミ子は頭を下げました。『謝るしかない』と、『何度も頭を下げ』たルミ子は、その後『ひとり中庭のベンチに座り、花壇をぼんやり眺め』ます。『一生懸命やってきたつもりだった。起きている時間のほとんどを医療に捧げているといっても言い過ぎではない』と思う『神田川病院の内科に勤めてもうすぐ十年』のルミ子。『急に母の声が聞きたくな』り、電話するも『ルミ子、もしかして恋の悩みやないやろね』と聞きたくもないことを言われ早々に電話を切りました。そして『えっ、もうこんな時間?まずい』と立ち上がろうとしたルミ子。そんな視線の先の『花壇の中で何かがきらりと光』りました。『薄くて丸い小さな金属板だった』というその物体には『金属板の先に黒いゴムチューブのようなものがついてい』ます。『聴診器だった。どうしてこんな所に?』と思うも落とし物としてナースステーションに届けたルミ子。しかし、持ち主は見つからず結局ルミ子のものになったその聴診器。そして『その聴診器を拾ってしまったことが、すべての始まりだった』と、拾った聴診器が奇跡を呼ぶまさかの物語が始まりました。

「if: サヨナラが言えない理由」という作品を文庫化にするにあたって「後悔病棟」と改題したこの作品。『一生懸命やってきたつもり』なのに、『患者の気持ちがわからない無神経な医者だ』というレッテルを貼られて苦悩する内科医の早坂ルミ子が、偶然にも、もしくは運命の悪戯として、病院の中庭に落ちていた聴診器を手にしたことから物語は動き始めます。この作品の舞台はルミ子が勤める内科病棟です。そこは『死期が迫った患者が多いので、既に五百人近くの最期を看取ってきた』と、死と隣り合わせの日々を送る患者さんがその人生の最期の時間を過ごす場所でもありました。そんなこの作品は四つの章と〈エピローグ〉から構成される連作短編の形式をとっています。作品自体の主人公はルミ子ですが、その各短編には、最期の時間と向き合う患者の姿が各短編ごとに主人公を変えながら描かれていきます。まずは、それぞれの章の主人公と章題を簡単にご紹介したいと思います。
第1章〈dream〉: 大女優の娘として、『芸能界にデビューしていれば、私だってきっと…』と、母親に芸能界入りを認めてもらえず悶々としたベッドの上で『私、三十三歳で死ぬんだよ?私の人生はすごく短いんだよ』と死と対峙する千木良小都子の物語。
第2章〈family〉: 『家族のためにひたすら働いてきたっていうのに!』と、『朝から晩まで仕事仕事』だったことで家族の中で孤立してしまっていたことに気づき、その死を目の前にして『いったい俺は、今までなんのために生きてきたんだ?』と苦しい胸の内を晒す37歳の日向慶一の物語。
第3章〈marriage〉: 『親といえども、娘の人生に口出しする権利なんかなかったのではないか』と、かつて娘の結婚に反対したことを悔い『どうして毎子の結婚にあんなに反対してしまったんだろう』と一人思い悩む76歳の雪村千登勢の物語。
第4章〈friend〉: 中学三年生だった時に巻き込まれたある事件のことを『純生にだけ罪をかぶせて、今日まで自分だけのうのうと生きてきてしまった』と思い続け、『中学三年生だったあの日、僕が罪をかぶるべきだった』と後悔の日々を送る45歳の八重樫光司の物語。
…と年齢も境遇も異なるものの、末期癌に侵され、迫りくる死と対峙し続けながらも、それぞれの心の内に抱き続ける『後悔』の感情と向き合う患者の姿が描かれていきます。

『この小説では後悔について書きたかったんです』と語る垣谷美雨さん。そんなこの作品では上記の通りそれぞれの死を前に『私、このままでは死にきれません。無念でならないんです』と思い悩む孤独な患者の姿が描かれていきます。そこには垣谷さんが『書きたかった』という、それぞれの主人公が心の内に秘める『後悔』の思いがありました。ここでどこか他人事のようにレビューを書いている私にだって『後悔』の感情は山のようにあります。一日一日を生きれば生きるほどに、あの時こうすればよかった、あんなこと言わなければよかったという思いがどんどん積み上がっていくのを感じます。ただ幸いにもその大半は時間が経てばどこか笑い話で語れるものとなっていきます。しかし、誰にだって、どんなに時間が経っても決して薄まることなく、いつまでも抜けない棘のように心の中に突き刺さったままとなっているものがあるように思います。この作品の各話の四人の主人公たちもそういった思いを抱えながら生きてきました。それは、各章の章題として〈dream〉〈family〉〈marriage〉〈friend〉という言葉に象徴されるものでした。本来であればそういったものは本人の心の内にのみ刺さり続け、他者がそれを知ることはありません。中には本人が思うほどには他者はどうと思っていないこと、また、本人が知らぬところで、そんな本人の思いが思い過ごしであったり、その裏にまさかの真実が隠されていることだって実際にはありうるのかもしれません。そんな思いを医師として聞いてあげることができたなら、医師という立場だからこそ、そんなことができた先には、死を前にした患者は救いを見ることができるのだと思います。それを可能にしたのがこの作品の『聴診器』です。『この聴診器を使えば、患者の本心がわかるってこと?』という不思議な力を持った聴診器を手にしたルミ子はこの聴診器を通して患者の心の声と向き合っていきます。そして、この聴診器がすごいのは、単に心の声が聞こえるだけではなく『扉の向こうはたぶん、過去だと思います。扉の向こう側に行くと、過去をやり直すことができるんです』とまさかの疑似タイムトラベルを患者と共に体験することができるということです。迫りくる最期の瞬間を前に『この貴重な五年間を俺はどう生き直すべきか』と、それぞれに『後悔』の人生をやり直していく彼らの姿。そして、このことを『過去をやり直すことによって、自分の選択も悪くはなかったと考え直すことができる。そうしたら安らかな気持ちで最期を迎えさせてあげることができる』と前向きに捉え、それが自分の役割と、患者に向き合っていくルミ子。それぞれに納得感のある結末は、ファンタジーをもってしても変えることのできない死を迎えていく患者の人生の最後に爽やかな余韻を残してくれるものでした。

『50歳を過ぎたあたりから、実は人生はやり直せるものではないという、当たり前のことをひしひしと感じるようになったんです』とおっしゃる垣谷さん。私たちの人生は誰もが平等に一度きりです。そしてそんな一度きりの人生であっても誰もが何かしら『後悔』という言葉を噛み締めながら生きている、悲しいかなこれも人生なのだと思います。一方で『ねえママ、この世の中の誰もが長生きする前提で暮らしてるでしょう』と言うように私たちは、死を恐れるあまり、やがて必ず訪れる死というものを意識しないようにして生きています。まるで人生がいつまでも続くかのように。そんな中で、やらなかったことをいつまでも悔いる思いを抱くことがあります。もちろん、やった先に続いていたであろう人生が、やらなかった先に続いている今の人生よりも良いという保証はありません。でも、いつまでも悔い続けるのであれば、『今日できることを明日に延ばすな』と考え、『後悔』することのない人生へと歩んでいきたい、今を大切にしっかりと生きていきたい!ふと、そんなことを考える時間をいただいた、そんな素晴らしい作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 垣谷美雨さん
感想投稿日 : 2021年8月11日
読了日 : 2021年5月16日
本棚登録日 : 2021年8月11日

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