予定日はジミー・ペイジ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2010年7月28日発売)
3.89
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本棚登録 : 1147
感想 : 179
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『下を見おろして、陰毛も床も見えないというのは、本当に不思議な感じである。視線の下にはばーんと腹がある。妊娠線を指でなぞる。赤ん坊がおなかを蹴った』

女が読むと言うマタニティ小説を男の私も試してみようと思って読むのである…と土佐日記の逆パターンじゃありませんが、全編が主人公の日記だけで構成されたこの作品は、”笑えて、泣けるマタニティ小説”ということで、ブクログのレビューを見ても圧倒的に女性の読者が多いようです。最初、新聞に”掌編小説”として掲載されたものの『小説ではなく随筆だと勘違い』され、『きれいなカードや花がぞくぞくと届いた』という角田さん。『終わりの部分だけがあって、その終わりに至る経緯を遡って小説を書く』ことを勧められて書いたという成り立ちで誕生したこの作品は、異常にリアルなマタニティ小説です。間違いなく女性に共感を呼ぶであろうそんな作品を、では、男の私が読んでみたらどのようなレビューが出来上がるのか?なかなか面白そうな読書だと思いチャレンジいたしました。本日のレビューはそんな視点でお読みいただけましたら幸いです、って自分にプレッシャーをかけてどうするんだ、という気もしますが…では、いってみましょう。

『4月×日 性交した。夫はすぐに眠ったが私は眠れず、起きて服を着て、ベランダにいって煙草を吸った』という日記の書き出しで始まる冒頭。その時『すっと一筋、こぼれ落ちるみたいに星が流れた』という瞬間を目にした『私』。『あ、流れ星、と思うのと、子どもができたかも、と思うのと、ほぼ同時だった』という予感が走ったのは『どちらにしても、願いごとをし忘れた』という4月のある日のことでした。そして『6月10日(木) 子どもができた』という予感的中の展開。『産婦人科で、おめでたですね、と白髪の医者に言われたとき、私がまず思い出したのは、夜空をひっかくようなあの流れ星だった』という『私』。思いがけず『めでたいですかね』とつぶやくと『めでたいですよ』と重々しく返す医者。産婦人科を出た私は『駅に向かって歩きながら、「めでたいですよ」』とちいさくつぶやいてみます。でも『ぱっとはなやかな気分になぜだかなれない』という『私』は『八時過ぎに帰ってきた夫に、なんと切り出していいやら』わからなくなってしまいます。夫とベッドに入り消灯。『なんにも言わないってのも変すぎると唐突に』思った『私』は『赤ん坊できました』と『暗闇にそっと言葉を』放ちます。『がばりと起きあが』る夫。そして『やったあ』と叫ぶ『一点の曇りもなく喜んでいる』夫は、『でかした。男かな、女かな、名前なんにする』と深夜まで騒ぐのでした。『6月11日(金) かたっぱしから友だちに電話をかけ、メールを書く』という『私』に友だちは『おめでとう!』『どうして今さら?』などさまざまな反応を返します。そして『予定日はいつなの?』と聞かれた『私』は『予定日か。そうだ、予定日というものがある。予定日は重要だ』と思い、本屋に行って『有名人の誕生日を一覧にした本』を買いました。『白髪の医者が言っていた予定日のページを』さっそく開くとその日に生まれた人の一覧があります。『ふむふむ、ジミー・ペイジ。いいじゃないか。』と『だんだんうれしくなってくる。おなかに入っているのがジミー・ペイジであるような気がして』きた『私』。『おなかのなかの名もなき赤ん坊よ、天才ミュージシャンになって私に贅沢させてくれ』とおなかに向かって語る『私』。そんな時、夫から『どう?』という電話を受けた『私』は『赤ん坊の予定日はジミー・ペイジの誕生日だよ』と伝えます。それに対して『あっ、そう、ふうん。おれはマーク・ボランといっしょだけどね』と『とんちんかんな答えが返って』きました。そんな予定日へ向けた『私』のマタニティ生活が描かれていきます。

妊娠したことがわかってから、出産へと至る日々を全て日記だけで描いていくという意欲的な構成のこの作品。せっかくですので、月毎に日記の数を数えてみました。(はい、こういう時はいつもマメなんです。私)
4月: 1日分
6月: 6日分
7月: 10日分
8月: 8日分
9月: 10日分
10月: 5日分
11月: 7日分
12月: 11日分
1月: 4日分
計62日分
という圧倒的な数の日記ですが、日によってページ数はまちまちです。1行だけの日もあれば数ページにわたる日もあります。でも、現実の日記だってそんなものだと思います。書くことが山のようにある日もある一方で、ほとんど書くことがない日もあるでしょう。このあたりのバラツキ感は逆にとてもリアルに感じました。また、日記である限り、書かれている情報は断片であり『私』にとって既知の情報が記されることはありません。でも、角田さんは読者が置いてけぼりにならないように、実に自然に日記の中に物語の背景を織り込んでいきます。そうなると、読者はいつしかこれが自分のこと、もしくは自分の妻のことのようにも感じてきます。『私』のキャラ設定が突飛さのない中庸な人物という点も感情移入を自然に誘います。そう、主人公と一緒にソワソワする感覚を味わう読書、そしてなんだか自分に家族ができるようにさえ感じてくる幸せな気持ちに包まれてくる不思議な読書、これは全く予想外の感覚でした。

そして、印象的な書名の人物である『ジミー・ペイジ』。この名前を聞いて何を思い抱くかは、読者の年齢、そして好きな音楽のジャンルによっても変わってくると思います。ブクログのレビューを見ると、全く知らないという人からよく知っているという人まで、これは当然にまちまちです。そんな私ですが、洋楽も大好きということもあって、”伝説のギタリスト”、”レッド・ツェッペリン”、”天国への階段”、う〜ん、心ときめくこの名前!という印象ですが、一方でリアルにその活躍を知っているわけでもありません。あくまで知識上の人物です。でも、そんなことは我が子の誕生という一大イベントと比べるとあまりにどうでも良いことです。出産予定日に生まれた有名人の一人がたまたま『ジミー・ペイジ』なだけのことであって誰だっていい、それは読書を進めるにあたって、また、出産を経験されたお母さん方にとっても同じ認識だと思います。有名で偉大な人物には間違いないけれども、万人が知っているわけでもない、遠い異国の害なき人物、ジミー・ペイジ。角田さんがこの作品に敢えてこの人物の名前を登場させたのはとても絶妙な選択だと思いました。

そして、一番の目玉とも言えるのが妊娠してから出産に至るまでの『私』の気持ちの変化の描写です。これこそがこの作品を読んでいく醍醐味でしょう。この描写の巧みさがお母さん方に指示される所以だと思います。妊娠の事実を伝えた直後の夫のはしゃぎよう、それに比べて『子どもができてうれしくないの?母親になることが楽しみではないの?夫のように、やったあとシンプルに万歳することはできないの?』と自問する妊娠初期の『私』。自分のお腹の中に新たな命が存在することをどう捉えて良いかわからなくて、素直に喜べないことを悩み続けます。超音波の画像を見せられても『私のなかにもうひとつべつの心臓やら爪やらそんなものがあるなんて、やっぱりにわかには信じがたい』と感じます。そして、こんな質問を医者にしてしまいます。『先生、この人は、おなかのなかで笑ったり、泣いたりするんですか、私の見る夢を、赤ん坊も見ていますか?』。ここで自分の中にいる赤ちゃんを『この人は』と言ってしまうところがこの時期の『私』の戸惑いをよく表しています。この場面にこんな表現を持ってくるなんて、素直にすごいなぁと思いました。そして、悩む『私』は、母親に『おかあさんになるのって楽しい?』と質問します。『別に楽しくなんかないわよ、でもまあ、いいもんよ、子どもってのは』と答える母親。『どういいのかなんて訊かなくったって、あと一年もしないうちにわかるわよ』と付け加えます。自分がその立場になったら自然に分かることという自信に裏打ちされたふわっとしたこの言葉。でも現在進行形の人にはなかなか理解できないことでもあります。だからこそ悩む『私』。そして、母親学級、妊婦の仲間たちとの出会い、そんな色々な経験を積む中で次第に『私』の感情にも変化の兆しが訪れます。それは、じわじわとゆっくり訪れるものではなく『なぜだろう、なんなんだろう』と『急に自分がしあわせだと感じた』という瞬間のことでした。『止まっていた噴水が勢いよく水を噴きだしはじめるように、しあわせだという気分が心のどこか知らない部分から、次々とあふれ出してきた』という感覚。この箇所に展開する文章から滲み出る優しさ、愛おしさは、もう特筆ものだと思いました。そして『このとき私は、赤ん坊をこれから生み出すということが、ちっともこわくなかった』という気づきの瞬間が訪れます。『赤ん坊ができなければ一生知らない世界である』とまで冷静に思えるようになった『私』への到達。この一連の心の動きの描写には、男の私にも強く響いてくるものがありました。

私には、この作品の主人公が経験した妊娠・出産というイベント、そして妊娠中の『ひとりではない感』を味わうことはできません。しかし、角田さんが『言うまでもなく私たちがここにいるのは、だれかがどのようにしてか、私たちを産み落としたからである』と語るように、そんな私もかつて自分の母親の中で『ひとりではない感』をともにしました。かつて私がこの世に生をうけたように、今この瞬間にも世界のあちこちで新しい命が誕生しています。『そこにはきっと、いくつものストーリーがあり、いくつもの悩みとわらいが、いくつもの迷いと決定が、詰まっていたのだろう』と語る角田さん。すべての母親が歩んだ道、そしてその先に続く新しい命。

マタニティ小説というのはゴールがはっきりしています。ある意味結末がわかった物語です。でも、命の誕生へと向かう日々、母親が母親になっていくそんな日々の中で、悩み苦しみながら一人の母親となるべく成長していく『私』の生き様は、そんな結末の一点を超える感動を与えてくれました。ブクログの数多のお母さん方を感動させる物語を実経験なく書いてしまう角田さん。心揺さぶられる物語には、男だから、女だからといったことなど関係ない。あるのは人の中に潜在する普遍的な感情が刺激されて沸き起こる感動のみ!そんな風に感じた絶品でした。いいなあ、この作品。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 角田光代さん
感想投稿日 : 2020年7月24日
読了日 : 2020年7月22日
本棚登録日 : 2020年7月24日

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