あつあつを召し上がれ

著者 :
  • 新潮社 (2011年10月31日発売)
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本棚登録 : 2789
感想 : 468
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十割蕎麦、『つなぎ』を使っていない蕎麦粉だけで打ったその蕎麦を初めて食べたのは、義父の家でした。蕎麦打ちが趣味だった義父。『たくさん、食べろ』と笑顔で呼びかける義父。家を訪ねるたびに独特なつけ汁とともに打たれたばかりの蕎麦をいただいた食事の風景。満面の笑顔の祖父の顔が今でも忘れられません。そんな義父が急に調子を崩したのが二年前。専門病院に入院するも肥大化する脳腫瘍は、手術を繰り返しても完治することはありませんでした。長くてあと一年と告知を受けた義父、それからの落ち込みようは今思い出しても辛くなります。食欲をなくし、出される食事に手をつけなくなった義父。食べたいものを食べさせてあげてくださいという看護師さんに言われ、院内の食堂へ連れて行きました。そこで祖父が注文したもの。天ぷら蕎麦でした。義父が一番好きだった食べ物。自分で打つほど蕎麦が好きで、天ぷらが好物だった義父。ひと口、ふた口、そして箸を置いた義父。そのあと、私の目を見て『俺は、もうだめなんだよ』と、呟いた食事の場面、今もはっきり私の中に刻まれています。同じ食べ物に楽しい想い出と悲しい瞬間の両方が結びついている。それを食べると楽しい想い出と悲しい瞬間の両方が浮かんでくる。食事は人にとって日々欠かせないものです。ひとりの食卓、友だちとの食卓、そして家族との食卓、そのそれぞれの場面には、その時々の人生の大切な瞬間が一緒になって刻まれています。この作品には、人が生きていく上で欠かせない、人が生きていくことを彩っていく、いろんな場面の食卓の風景が描かれています。

7つの短編から構成されるこの作品。全体のページ数も単行本170ページ程度しかないこともあって、あっという間に読み進んでしまいます。7つに共通するのは食材、料理、そして食卓を囲む風景が作品の色を決定づける役割を果たしているところです。そう、食にあわせるかのように登場人物の年齢、家庭環境、そして場面設定が選ばれているかのようにも感じるこの作品。普通は、ストーリーがあって、その中で食卓が演出の一つとして描かれますが、この作品では、食卓があって、次にそれに合わせるようにストーリーが書かれたのではないか。主役は食卓ではないのか。そう感じるくらいに各話の中で食卓の印象が強く感じられました。

7編の中で一番気にいったのは〈こーちゃんのおみそ汁〉です。『一月の寒い朝に産声を上げた私に、呼春(こはる)という名前をつけたのは母だった』という主人公・呼春は『名前をえらく気に入って』います。しかし、『私に呼春と名付けた母は、もうこの世にはいない』、亡くなって二十年が経つという母親の記憶がはっきり残っていなかったという呼春。しかし、結婚が決まり、父と二人で暮らした家を出ていくという段になって、『ようやく、自分の中に根付く「母」の存在に気付き』始めます。『いわゆる特訓が始まったのは、私が幼稚園に入る頃からだった』という呼春は、『再発』を悟った母親から『自分のことは何でも自分でできるよう』生活していく上で必要な事ごとを教え込まれていきます。『台所仕事だって、例外ではない』と、ご飯の炊き方を教わります。そして、『次に母が私に教えたのは、おみそ汁の作り方だった』と、『頭を取って、内臓の黒い部分も外して、身を二つに裂く』という『煮干しの扱い方』から全てを教えてもらう呼春。『料理は五感で覚えるもの』という母の考え方により、『煮干しを煎る時のいい塩梅の香りは、しっかりと記憶のひだに挟まれている』という呼春。『特訓が終わると、母はとたんに優しくなる』と『母の体にまとわりつくのが好きだった』という呼春。そんな幼稚園時代を思い出す呼春は、『私は二十代半ばの若さで、すでに母の享年をこえ、これからはどんどん母が年下になっていく』という現実を認識します。そして、『私がお嫁に行ったら、父はこの家で一人になる。庭の桜の木を見上げ、「私、お嫁に行くよ。明日、結婚するの。お母さん、お父さんのこと、しっかり守ってあげてね」』と心の中でそっと静かにつぶやきます。そして…、と展開するとても味わいのある物語。

もう一つ挙げるとすると〈親父のぶたばら飯〉。こちらはストーリーもとてもいいのですが、それ以上に食に関する描写が、もう突き抜けていると感じました。『中華街で一番汚い店なんだけど』と恋人に案内された主人公・珠美。最初から最後まで食を最前面に押し出した物語が展開します。まずは『ビールとしゅうまい』と注文した二人、このしゅうまい。『不揃いな形のしゅうまいからは、ほわほわと白い湯気が立っている。「美味しい!」』と頬張る口の中を表現していきます。『口の中にまだ熱々のしゅうまいを含んだまま、それでも驚きの声を上げずにはいられなかった。固まり肉を、わざわざ叩いて使っているのだろう。アラびき肉のそれぞれに濃厚な肉汁がぎゅっと詰まって、口の中で爆竹のように炸裂する』。肉汁が口の中に溢れる瞬間を爆竹に例えるという絶妙な表現に、読んでいる方も、もうたまらない気分です。そして次の『ふかひれのスープ』では、『優しく優しく、まるで野原に降り積もる雪のように、私の胃袋を満たしていった。地面に舞い降りた瞬間すーっと姿を消してしまうかのように、胃から体の隅々へ行き渡っていく。儚い夢を見ているようだった』ともう今生の幸せを味わうかのような描写に、文字が美味しく見えてくる不思議な気分を味わいました。これはもう、読書なんかしている場合ではなく、すぐにでも自分も食べたくなってきます。こういうのを『食をそそる』というのでしょうか。この短編ではとにかくメインディッシュの『ぶたばら飯』含め散々に空腹を刺激され続けました。

『どうして本当に美味しい食べ物って、人を官能的な気分にさせるのだろう。食べれば食べるほど、悩ましいような、行き場のないような気持ちになってくる』というように美味しい食べ物を食べる時の幸せは何ものにも変えがたいものがあります。長い人生、生きていれば、辛いこと、悲しいこと、そして苦しいことだって避けることはできません。毎日の暮らしだって、気持ち安らかな日々ばかりとはいかないでしょう。でも、どんな時にも食は必ずついてきます。ある食事風景が、何年経っても、家族の幸せな時、そして一方で悲しい瞬間の象徴となって、いつまでも記憶の中に残り続けることだってあると思います。でも、それであっても『美味しい物を食べている時が、一番幸せなのだ。嫌なこととか、苦しいこととか、その時だけは全部忘れることができる』。食事の場面では、どんな時でも幸せを感じる瞬間があったはずです。美味しい、満たされる、と思った瞬間。全てを忘れて食の喜びに浸る瞬間。そんな食事風景の数々を文字で刻んだこの作品。レンゲですくって舌の上にスープを流し込んだ恋人の『ふぅ、幸せ』という一言が象徴する幸せな食卓。小川さんの食を描く表現の素晴らしさと、その食に込められた想いを強く感じた、至福の時間でした。

美味しくいただきました。ごちそうさまでした!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小川糸さん
感想投稿日 : 2020年6月5日
読了日 : 2020年6月4日
本棚登録日 : 2020年6月5日

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コメント 4件

moboyokohamaさんのコメント
2020/06/05

あなたとあなたのお義父さんとの楽しく悲しい思い出のエッセイが響きます。

KOROPPYさんのコメント
2020/06/05

こんにちは。
コメントありがとうございました。

本棚に並ぶ本が共通しているなと、私も感じていました。
好みのお話も共通していて、うれしいです。

こちらこそ、これからもよろしくお願いします。

さてさてさんのコメント
2020/06/05

moboyokohamaかわぞえさん、コメントありがとうございました。
いろんな思い出に食卓風景が同時に浮かんでくる、とても説得力のある作品でした。
今後ともよろしくお願いします。

さてさてさんのコメント
2020/06/05

KOROPPYさん、コメントありがとうございます。
読書を始めて半年の私には大、大先輩のKOROPPYさん、いつも道案内をありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

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