あなたはここにいなくとも

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  • 新潮社 (2023年2月20日発売)
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あなたは、目の前にいない存在に影響を受けたことはないでしょうか?

私たち人間は、人と人との関わりの中に生きています。朝起きてから、夜に眠りにつくまであなたは日々数多くの人と接して生きていると思います。それは、学校であり、会社であり、そしてその他何かしらのコミュニティの場における関わりだと思います。

一方で、日々そんな風に接することがない人との関係性というものもあるように思います。例えば遠く離れた故郷に暮らす『家族』がそうだと思います。お正月くらいしか会うことがない、さらには何かしらの事情でもう何年も会っていない、そんな日常からは遠い存在。

しかし、私たちは普段会うことがなくてもその存在を心の中に感じて生きているようにも思います。そして、そんな人の存在が何かしら今の自分の行動に、今の自分の考え方に影響を与えている、そんな場合もあると思います。今、ここにいない存在に私たちが影響を受けていく、これは多かれ少なかれ誰にだってあるように思います。

さて、ここに、「あなたはここにいなくとも」という書名の先に描かれる五つの短編がまとめられた作品があります。五つの短編それぞれにさまざまな境遇に置かれた主人公が登場するこの作品。そんな主人公たちが、それぞれの人生に戸惑いを見せ、それぞれの人生に行き詰まりを見せるこの作品。そしてそれは、そんな主人公たちが今そこにはいない存在から何かしらの気づきを得ていく物語です。

『えー、うちの「ごちそう」って何かって?』、そんな風に訊かれて『断然、すき焼き!』、『わたしは皮が特に好き』と『鶏肉』のすき焼きについて話をしてしまったことで『卒業まで「トリカワ」という不名誉なあだ名で呼ばれ』ていた夢を見たのは主人公の清陽(きよい)。『あれ以来わたしは、我が家の常識が世間の常識と違うのではと、びくびくするようになっ』た清陽は、昨日届いた祖母からの手紙を手にします。『今年で九十四になる』もスマホやSNSを使いこなす祖母がわざわざ送ってきた手紙には、『あなたのしあわせな顔を見せてちょうだい』と書かれていました。『こんなので、里心が湧くと思うなよ』と思う清陽は祖母が『恋人を連れて帰って来るように願って』いるので『帰りたいとも思うけれど、帰れない』という今を思います。そんな時、『清陽もコーヒー飲む?』と章吾が入ってきました。『三年ほど付き合っている恋人』の章吾は会社の先輩でもあります。忙しい『営業職』の日々の中でようやく二連休を合わせられた二人は、清陽の部屋で『二日間引きこも』る計画を立てました。『社用電話も既に電源を切った』という時、清陽の『プライベート用のスマホの着信音がし』ます。『嫌な予感』がしたという清陽が出ると、『清陽。おばあちゃんが、亡くなったよ』と母が静かに告げました。『つい二時間ほど前に、祖母はこの世を去』り、『今晩がお通夜で、明日がお葬式』と聞かされた清陽は喪服をバッグに詰め『新幹線に乗』りますが、『新大阪駅まで送ってくれた章吾と、別れ際に喧嘩をしてしま』います。『通夜の席だけでも出たいと言』う章吾を『そういうの、いいから。やめてよ』と断った清陽。『迷惑ってことやな』、『おれって、どうでもいい存在やねんな』と『ひとごみの中に消えていった』章吾。『ありがとう、ついてきて。そう言うべきだったのは分かってい』たと思う清陽。しかし、『わたしにはそうする勇気が出なかった。こんなときでさえ』と思う清陽。『二十五を超えた辺りから、帰省するたびに家族から「結婚」という言葉をちらつかせられるようになった』という清陽が、ある思いを抱えたまま帰省するその先に、『家族』のまさかの姿が描かれていく冒頭の短編〈おつやのよる〉。うるっとくるその結末に、冒頭から町田そのこさんの短編の魅力を堪能できる好編でした。

2023年2月20日に刊行された町田そのこさんの最新作でもあるこの作品。”発売日に新作を一気読みして長文レビューを書こう!キャンペーン”を勝手に展開している私は、町田さんが一昨年に刊行された「星を掬う」でも発売日に一気読みしてレビューを書きました。他の方のレビューもほとんどなく、評価も定まっていない中での読書はやはり特別な味わいのあるものだと思います。また、町田さんは今までにこの作品を含め九つの作品を刊行されていらっしゃいますが、その全てを読んできた私としては、町田さんの作品を発売日に読むという行為自体感慨深いものもあります。

さて、そんな町田さんの九冊目となるこの作品は町田さんとしては、初めてとなる短編集です。もちろん町田さんには「コンビニ兄弟」、「ぎょらん」、そして「うつくしが丘の不幸の家」など短編集として構成された作品はありますがいずれも短編どうしが繋がりを持つ連作短編集です。それに対してこの作品は町田さんの地元である『北九州』が何かしら登場することと、『祖母』、『おばあちゃん』、そして『おばあさん』と呼ばれる人物が必ず登場するという繋がりはあるとはいえ、基本的には作品間に繋がりを持たない本来の意味での短編集となっています。本屋大賞受賞作の「52ヘルツのクジラたち」など長編に圧倒的な人間ドラマを見せてくださる町田さん。そんな町田さんが短編でどんな世界を見せてくださるのか、これには興味がわかないはずがありません。五つの短編が収録されたこの作品。では、そんな五つの短編の内容をご紹介しましょう。

・〈おつやのよる〉: 『三年ほど付き合っている恋人』の章吾と『二日間ひきこもり』で過ごそうと楽しみにしていた主人公の清陽。そんな中、母親から『おばあちゃんが、亡くなった』と連絡を受け急いで帰省する清陽。『通夜の席だけでも出たいと言った』清吾を振り切る清陽は、章吾を実家に連れていく『勇気が出な』いという悩みの中にいました。そして、帰省した清陽の前に『眩暈がしそうにな』る『家族』の姿がありました…。

・〈ばばあのマーチ〉: 『いま何してる?』と『恋人である浩明からの着信』を受けたのは主人公の香子。『街はずれのお菓子工場で働いている』香子に深夜勤務の続く『激務』から転職を勧める浩明。しかし『従業員同士のなれ合いがな』い今の仕事を『天恵のよう』だと思う香子。そんな香子は『入社した会社で、いじめに遭った』過去を思い出し『浩明以外まともにコミュニケーションをとれるひとがいない』今を思います。

・〈入道雲が生まれるころ〉: 『ああ、もう別れどきなんだな』と思うのは主人公の萌子。『付き合って一年』という『海斗を起こさないように』ベッドから出ると『別れましょう。今までありがとう』とメモを残し『海斗の部屋を後にし』ます。そして『タクシーで帰ろうか逡巡』する中に母から『帰って来てくれん?…藤江さんが、亡くなったんよ』という電話を受け実家へと向かいます。そんな時、海斗からの電話が鳴る萌子。

・〈くろい穴〉: 『チヨさん、こんなに栗を買ってどうするんだい』と『八百清の肇さん』に訊かれたのは主人公の美鈴。母親の名前と同じという理由で、美鈴のことを祖母の名前で呼ぶ肇に『渋皮煮を作るの。チヨさん直伝の、渋皮煮よ』と返す美鈴。そんな美鈴は家に帰り栗を水に漬けると『明日、奥様のために渋皮煮を作ります。夜に、取りに来て下さい』と上司の真淵にメールしました。『もう五年に及ぶ』という真淵との関係…。

・〈先を生くひと〉: 『藍生が恋に落ちた』と『何でも知っている』『幼馴染』の浦部藍生のことを思うのは主人公の加代。『なんでわたしじゃないの?』、『好きになるならわたしだろーが』と思う加代は『好きなひとって、どんなひと?』と訊きたい思いを募らせます。そんな加代は悩んで悩んで藍生の母親を訪ねます。『朝は早いし帰りも遅くなった』と藍生の変化を語る母親は『三月に引っ越す』という衝撃の事実を告げます。

“いまは人生の迷子になってしまったけれど、あなたの道しるべは、ほら、ここに。もつれた心を解きほぐす、ぬくもりに満ちた全五篇”と内容紹介にうたわれる五つの短編。そこに共通するのは何かに思い悩み身動きが取れなくなってしまった主人公たちが、書名にある通り「あなたはここにいなくとも」と物理的に離れた存在に何かしら前に進むためのきっかけをもらう中にその先に続く人生の道を見出していく、そんな物語が描かれていることです。

そんな短編の中で一つ注目したいのは『家族』が描かれる短編が存在することです。〈おつやのよる〉がそれに当たります。町田さんが描かれてきた作品を振り返る時に『家族』の存在は欠かせません。実母からの虐待を受けて育った主人公の貴湖の人生が描かれる「52ヘルツのクジラたち」、”母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら”という先に主人公の千鶴を捨てた母親と再会を果たす「星を掬う」、そして”わたしには、育ててくれているママと産んでくれたお母さん、それぞれがいる”という先の物語が描かれる「宙ごはん」などその描かれ方はマイナス感情が先立ちます。特に「宙ごはん」では、”毒親”という言葉を登場させるなど、特に同性の親との関係性に苦しむ主人公たちを描く物語は読者を息苦しい思いの中に引き摺り込みます。それに対してこの作品で描かれる親子関係、『家族』のあり方は少し異なります。三年も付き合う恋人を実家に連れて行くことに戸惑う清陽が描かれる〈おつやのよる〉に描かれる『家族』と、上記した作品群の裏にある感情の大きな異なり。それこそが、内容紹介に記された”道しるべ”という言葉の先にあるものです。

あなたは、自分の親とどんな関係性の中で生きてきたでしょうか?それはもう、『家族』の数だけあると言っても良いのだと思います。『家族』とはどうあるべきというものが決まっているわけではない私たちの社会において、それは全てが正解であり、全てが間違いとも言えます。『家族』のあり方は、その『家族』を構成する面々が試行錯誤の日々の中で築きあげていく他ないからです。

『よそはよそ、うちはうち。そんな言葉を何度となく聞かされて育ったし、それは正しいと分かっている』

『家族』の内側は外からはなかなかに垣間見ることさえ難しいものです。表面的なことだけで見れば、『我が家の常識が世間の常識と違うのでは』ないか、そんな思いに苛まれることだってあるのかもしれません。しかし、『家族』とは、そんな表面的なことからは見えないものを持つ存在だとも思います。離れていてもお互いを想い合う、そんな先に見えずとも繋がって行く関係性、そんな中に、あなたが先に進むためのヒントが隠されている場合があるのだと思います。それこそが、内容紹介にうたわれる”道しるべ”という言葉の先にあるもの。人生の迷子にとってなくてはならないもの、そんな”道しるべ”が実は『家族』を含めた身近なところにあるのではないか?身近だからこそそこにあるのではないか?この作品では、そんな”道しるべ”の存在を感じさせてくれる物語が五つの短編それぞれの世界観の中に描かれています。

この作品ではそんな存在を『家族』だけではなく、全く予想外の人物にも描いていきます。上記した各短編の内容からでは当然にその存在が誰に当たるかは見えませんが、これから読まれる方には、町田さんが「あなたはここにいなくとも」の「あなた」をどんな関係性の人物に見るのかにも是非ご期待いただければと思います。

そう、「あなたはここにいなくとも」、物理的な遠さ近さではない、例え距離が遠くても、遠く離れていても、また、本来繋がりを持ち合うはずのない人物でさえ、もしかするとあなたのことを思ってくれる人がいる。そんな人がこの世にはきっといる。そんな優しさに満ち溢れた五つの短編が集められたこの作品。そんな作品はそれぞれに極めて清々しい読後感に満たされる中に終わりを告げます。町田さんの小説を読みたい!でも、胃がキリキリするような作品は避けたい!そんなあなたに是非お勧めしたい、そんな作品がここにある、この作品はそんな位置付けの作品だと思いました。

『頑張ろうとは、思ってる。このままじゃよくないって、自分が一番分かってる。でも、足が動かない』。

人は長い人生の中でどうしても前に進むことのできない時間を過ごすことがあると思います。そんな時に”道しるべ”となる存在は何よりも大切です。この作品ではそんな存在が誰にだっていることを教えてくれました。

あなたは再び前を向くことができる。そして、再び力強く歩き出すことができる。

五つの短編がそんな風に優しく教えてくれるこの作品。町田さんのあたたかい眼差しに包まれる素晴らしい作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 町田そのこさん
感想投稿日 : 2023年2月25日
読了日 : 2023年2月20日
本棚登録日 : 2023年2月25日

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