星を掬う (単行本)

著者 :
  • 中央公論新社 (2021年10月18日発売)
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『自分が変わらなければいけないのは、分かってる。でもだからって、ひとは簡単には変われない。幾重にも重ねたものを剥ぎとるのは、簡単じゃない』。

人生は思った以上に過酷です。男女共に平均寿命が80歳を超えたこの国で、そんな長い期間をずっとしあわせなままに生きていくことは誰にだって難しいものです。そんな期間の中では苦しい思いをすることも、哀しい思いをすることも、そして寂しい思いをすることも必ずあるのだと思います。一方で人は弱い生き物です。そんな辛い期間を生きる日々には、そんな辛い思いをすることになった原因を考え、その原因に恨みの感情をぶつけることで気持ちをどうにか持たせようとすることもあると思います。そして、そんな原因は人、他者である場合が多数だとも思います。”あの人のせいで…”、”あの人がどうして…”、そして”あの人がすべて…”と他者を恨む感情も募ります。しかし、人は思った以上に冷静です。そんな感情を抱けば抱くほどに、一方で、『自分が変わらなければいけないのは、分かってる』と本来取るべき行動が分かってもいるものです。そして、そんな風に相反する思いのぶつかり合いが人の悩みを大きく、強く、そして深くもしていきます。改めて生きるということの大変さを思います。

さて、ここにそんな苦悩の中に生きる一人の女性を描いた物語があります。『食費を削り、化粧品なんてずっと買っていない、己に許した贅沢は、一日数粒の飴玉だけ。これ以上、どうすればいいというのだろう』と貧困に喘ぐ今の生活を憂うその女性。元夫からのDVに悩まされ、相談する相手もなく、ただ孤独に嘆き苦しむその女性。そんな女性は自らの境遇の元凶をこんな風に語ります。

『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』。

この作品は、そんな女性が彼女を”捨てた”母親に再会する物語。そんな母親と心を十分に交わせずに『こんな再会、したくなんてなかった』と後悔する様を見る物語。そして、それはそんな母親との繋がりを少しづつ感じる中で、母親の想いを掬い取ろうとする女性の想いの変化を垣間見る物語です。

『おめでとうございます。芳野さんの思い出を、五万円で買い取ります』と、『明るい声で言われて』言葉に詰まるのは主人公の芳野千鶴(よしの ちづる)。『あなたの思い出、売ってみませんか?』という『ラジオ番組の企画』に応募した千鶴は、『夏休み』というテーマの回で準優勝になったことを野瀬というラジオ局の人間に電話で告げられました。『あの別れのあと、どうなったんですか?』とあの時のことを訊かれた千鶴の頭に『ふっと、遠い日が蘇』ります。『父の車に乗りこむわたしを、じっと見つめていた母』の姿を思い浮かべ、『あのときわたしが母の車に乗ると言っていたら、何か変わっていただろうか』と思う千鶴は、『母は、いなくなりました。わたしはあれ以来、母とは一度も会っていないんですけど、自由に生きているみたいですよ』と返します。そして、『母がいなくなって数年後』父が病で亡くなり『あの女のせいで、いまの不幸があるんだ』と恨みながら祖母も亡くなり一人になった千鶴。そんな千鶴は、準優勝で五万円を手にすることができて『助かった』と感じるものの『またあいつがやって来て、金を毟り取っていくだけだ』と未来を悲観します。パン工場で夜勤の仕事を続けギリギリの生活を送るも『金がなくなると』やってきて『ありったけの金を持っていく』という『数年前に別れた元夫』の野々原弥一に苦しめられている千鶴。『弥一から、逃げたい。でも、逃げだすための金も、気力もない』という千鶴は『己に許した贅沢は、一日数粒の飴玉だけ』という極貧状態の苦境に生きていました。そんな弥一は飲み屋を始めることにしたので五十万円を用意しろと千鶴に迫り暴力を加えます。『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら…』と思う千鶴。そんな千鶴にラジオ局の野瀬から『お母様の名前は、聖子さんではありませんか?』という電話がかかってきました。ラジオの放送を聴いた芹沢恵真(せりざわ えま)という女性が聖子と同居しており会いたいと言っていると伝えられて動揺する千鶴は、五十二歳になった母親に会うことで何か答えが得られると思い、仲介してくれる野瀬と芹沢に会いに行きます。しかし、会って早々に『その顔はなに。ぼこぼこなうえ、真っ青じゃん』と千鶴の様子を訝しむ芹沢は『完全にDVじゃん』と千鶴のことを心配します。『夜逃げしようと思って』と行く当てもないのに言う千鶴に『シェルター』の存在を説明する野瀬。しかし、それを拒む千鶴に『じゃあ、うちに来てよ』と聖子も暮らす家で一緒に暮らすことを提案する芹沢。そんな提案に応じて『さざめきハウス』という建物で暮らし始めた千鶴が、母・聖子との再会を果たす中で、長らくすれ違ってきた母親と娘の関係に変化が訪れる物語が描かれていきます。

2021年10月18日に刊行された町田そのこさんの六作目となるこの作品。町田さんといえば2021年の本屋大賞を「52ヘルツのクジラたち」が受賞したばかり。つまり、この作品は”受賞後第一作”として書かれたものです。私も同作品には強く心を揺さぶられたことから、そんな町田さんの新作が出ると聞いて刊行日が来るのをとても楽しみにしていました。そして、ありがたいことに刊行日前日にAmazonから届いた単行本。直ぐに開封し、一気読みをしてしまった私…ということで、この作品は刊行日前に読み終えてしまった!というおまけ付きで私の読書史に刻まれる作品になりました(笑)。

さて、そんなこの作品「星を掬う」で町田さんが取り上げるのは『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』という主人公・芳野千鶴の母親への思いの先に続く物語でした。母親が娘を捨てる、衝撃的な言葉ですが、望まぬ出産による赤ん坊の遺棄、育児放棄、そして虐待というように、必ずしも上手くいかない母親と娘の関係というものが現実世界にも数多存在します。この作品では、小学一年生の時に父親と祖母に千鶴を渡して突然にいなくなってしまった母親のことを憎み、”母親に捨てられた”という意識の元に生きてきた千鶴が主人公となって物語は展開します。そんな物語には、他にも母親と娘という関係に複雑な思いを抱く複数の人物が登場します。それが、夫の弥一から逃れて暮らすことになった『さざなみハイツ』で出会うことになる女性たちでした。ケアマネージャー の九十九彩子(つくも あやこ)は、妊娠中毒症に苦しんだ過去を持ち、結果として夫と義母に子供を取られる形で離婚を経験し今に至ります。そんな彩子は、その決定的な別離の場面の印象から”娘に捨てられた”という思いを抱いて生きてきました。また、千鶴の実母のことを『ママ』と呼ぶ芹沢恵真は、『一歳のときに交通事故で』両親を亡くし、母親というものを知ることなく生きてきました。

そんな物語は、『さざなみハイツ』での暮らしの中で、”捨てた側”と”捨てられた側”の人間が再会することで大きく展開していきます。上記の通り、元夫の激しい暴力から逃れるという目的もあった千鶴は、そんな逃げ先で母親の聖子と再会を果たします。しかし、そこにいた母親は『若年性認知症を、発症してる』状態でした。”捨てられた側”として今までの人生の苦悩、恨み辛みをぶつけるも『母の脳内にわたしの居場所はないんだろう』と感じる千鶴。そこに、『こんな再会、したくなんてなかった』という思いに満たされる感情が湧き上がるのは当然のことだと思います。そんな辛い物語展開に追い討ちをかけるように母親・聖子の認知症という症状自体にも強く光が当てられていきます。我が国には4万人近い発症者がいるとされる若年性認知症。普段、あまり意識することは少ないと思いますが、身内にそんな症状が出た場合に、そこに何が起こるのか、何をすることになるのか、そして何を諦めなくてはいけないのか、そんな辛い介護の日々もこの作品ではリアルに描かれていきます。そんな中で、私が特に衝撃を受けたのが『弄便(ろうべん)』という言葉の意味する重篤な症状の描写でした。”排泄した便を素手でいじったり、便を取り出して、自分の着ている衣類や寝具、周辺の壁などになすりつける”行為を指すというその症状。全く知識がなかったこともあって、それでなくても重苦しい読書が落ちるところまで落とされた、そんな気分を味わいながらのものとなってしまいました。このあたり含め、介護経験のない方にはより重苦しさを味わうことになる作品だと思います。

そんな物語は、主人公の千鶴視点で進みます。しかし、この作品で特筆すべきなのはそんな視点が途中で幾度か母親・聖子視点に切り替わることです。認知症を扱った小説は他にもあります。しかし、少なくとも私が知る作品の中で、そんな認知症発症者の側の視点に切り替わった作品は思い当たりません。そもそもそんな認知症の患者の視点というのは考えづらいものでもあります。だからこそ、『私はこれから認知症対応デイサービス施設に行くのだ。私は、ものを忘れていく病気なんだった』と、母親・聖子の視点に切り替わった、その瞬間には息を呑むものがあります。認知症発症者の側、つまり介護されている側から、外の世界はどのように見えるのか、そんな病気に罹った自分自身のことをどう思っているのか、そしてかつて”捨てた”はずの娘と一つ屋根の下で暮らす日々をどう感じているのか。認知症になったことのない人間が、その症状下の感情を推測することは極めて困難だと思います。そもそも実際の患者さんに取材すること自体難しいものでもあるでしょう。この作品での町田さんのこの試みは極めて大胆な挑戦だと思います。しかし、この視点の切り替えがあってこそ、結末へと至る物語に大きな説得力を生む、なくてはならないキーの役割をも果たしていきます。これから、読まれる方はそんな視点の切り替わりも意識しながら読まれることをお勧めします。『私』と『わたし』という表現の工夫がそれを助けてくれます。

そして、そんな作品の主題は、なんと言っても本の帯に大きく謳われている通り”すれ違う母と娘の物語”という点に集約されると思います。世の中には数多の母親と娘の関係が存在します。それはもう母親と娘の数だけの関係性があると言っても良いくらいに千差万別でしょう。しかし、『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』といった緊迫した関係性の上に立つ母親と娘となるとそれは限定されてくると思います。しかし、この作品で取り上げられている複数の関係は十分にあり得ると思えるものばかりです。フィクションではあっても決してファンタジーを感じさせるものではありません。そんな関係性の中で再会を果たすことになった母親と娘はそこに何を思うのでしょうか?かつて、”捨てた側”と”捨てられた側”に分けられる彼女たちには、当然にそれぞれの言い分があるはずです。そして、そんな母親と娘は一方で一人の人間でもあります。もちろん、母親はこうあるべき、娘はこうあるべき、といった一般論のようなことはあるのかもしれません。しかし、それ以前に『ひとにはそれぞれ人生がある。母だろうが、子どもだろうが、侵しちゃいけないところがあるんだ』という通り、それぞれの人生、一度きりしかない人生というものがあります。この作品では、上記した通り、認知症の描写の中で一歩踏み込んだ描写がなされます。そして、母親と娘という関係性を描く中でも、そこにそれぞれが一人の人間でもある、という踏み込み方を入れることによって、物語を大きく深く掘り下げていきます。

また、そんな物語は、陰惨、陰湿、そして陰鬱を極めるような内容も背負っています。DV、貧困、幼児の性虐待、認知症…と気分が全く晴れない物語展開がそこに追い討ちをかけます。全くもって晴れない、どこまでも堕ちていく他ない物語を読むには、読者の覚悟も求められます。精神的に落ち込んでいる方はこの作品を手にするのは少し思いとどまられた方が良いようにも思います。この作品は読者の心をも激しく揺さぶる壮絶な物語だからです。町田さんの絶品の筆の力がそれを盤石なものともしていきます。

しかし、町田さんはそんな物語をどん底の闇の中に留め置くような結末にはされません。この作品の書名を思い出してください。この作品には「星を掬う」という名前が付けられています。人は、『星』という言葉に何を思うでしょうか?そこに浮かび上がるのは”永遠”、”希望”、そして”幸せ”、そんなイメージではないでしょうか?また、『掬う(すくう)』という言葉は、その読みからは”救う(すくう)”という言葉も思い起こされるものです。そう、この作品には”救い”の結末が用意されているのです。それこそが”救う”という言葉と同じ読みを持って表現する『掬う(すくう)』という言葉に町田さんが込められたとても優しい表現の先にある救済の物語なのだと思います。乱暴に扱うと壊れてしまいそうなその優しい表現の世界。それは、読者の心を激しく揺さぶる物語が故に、余計に読者の心を優しく包み込むように癒してくれるものなのだと思います。町田さんの作品は、その書名に強い意味が込められています。代表作である「52ヘルツのクジラたち」は特にそうでしょう。そして、それはこの作品「星を掬う」でも同じです。読後、その書名を口にした時に、読み終わったあなたの胸に静かに去来するあたたかな感情、これから読まれる方には是非とも書名に込められた町田さんの優しい眼差しを感じていただきたいと思います。

この世には生きている人の数だけ人生があります。それは、夜空に輝く星々と同じように明るさも色も異なります。そんな星々一つひとつの一生がバラバラなように、人の一生も千差万別です。そんな中では、

『わたしなんかが生きていて、何がどうなるんだろう。この日々の先に希望が持てない。誰かと笑いあって過ごす幸福な自分が、これっぽっちも想像できない』。

そんな風に思い悩み、ただただ苦悩する毎日を送る人生もあるのかもしれません。どうして自分の人生だけがと、光り輝く他人の人生を羨む感情が湧き上がることもあるのかもしれません。しかし一方で、『ひとにはそれぞれ人生があ』ります。不遇と感じている今の人生の痛みの原因を他人のせいにして生きることは、楽なことなのかもしれません。この作品では、『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』と、自らの人生の苦悩を母親のせいにして生きてきた娘の姿がありました。そして、そんな娘が母親と再会して感じること、”捨てた側”と”捨てられた側”の思いがぶつかり合う先に浮かび上がるのは、それぞれがそれぞれを慕い合う優しい想いに包まれた母親と娘の姿でした。

「星を掬う」という書名のこの作品。すれ違ったからこそ見ることのできた美しい星の輝き。そんな星を掬い取るという人の心の機微を感じさせる優しい想いに心を打たれた素晴らしい作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 町田そのこさん
感想投稿日 : 2021年10月23日
読了日 : 2021年10月17日
本棚登録日 : 2021年10月23日

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