おまじない (単行本)

著者 :
  • 筑摩書房 (2018年3月1日発売)
3.39
  • (78)
  • (221)
  • (355)
  • (70)
  • (10)
本棚登録 : 2960
感想 : 296
4

あなたは『おまじない』をしたことがありますか?

“昔から、災いを起こしたり逃れようとする時に使われた呪文のようなもの”とされる『おまじない』。それを信じるか信じないかは人それぞれだと思います。そもそもそんな『おまじない』という”言葉”から連想されるものも人によって異なると思います。『おまじない』とは、漢字では”御呪い”と書くようです。”まじない”とは、なんと”呪い(のろい)”という”言葉”でもあると知るとちょっとその見方も変わってきてしまいます。ただ、そんな漢字も含めて人が何か思いを込める時の”言葉”であるとは言えるのかもしれません。

私たちは日々生きる中で、さまざまな”言葉”を耳にします。偉人による”名言”、古から伝わる”格言”のようなものもこの世にはたくさんあります。そんな”言葉”に触れることをきっかけとして、人が行動を変える、生き方を変える、そんなことだってあると思います。それは、その”言葉”が『おまじない』として、そして”魔法のことば”としてあなたに機能した、そんな風に考えることもできるかもしれません。

しかし、どんな”名言”、”格言”であってもあなたの心に響くものでなければそれはあなたにとって何の意味もないただの”言葉”にすぎません。また、同じ”言葉”であっても、タイミングによってあなたの心に響く場合と響かない場合もあるように思います。

さて、ここにそんな”言葉”によって、ハッとする八人の女性が主人公となる物語があります。そんな”言葉”は決して特別な”名言”や”格言”ではありません。『あなたは悪くないんです』、『戻って来るのはあんただよ』、そして『おめでとう』といった一見なんの変哲もないその”言葉”。この作品は、そんななんの変哲もない”言葉”に人がハッとする瞬間を見る物語。そんな”言葉”に人が救われる物語。そして、それは、そんな”言葉”が『おまじない』に変わる瞬間を見る物語です。

『ずっと、ずほんを穿いていた』、『裾にフリルがついたものやリボン模様のもの、いかにも女の子用の可愛らしいずぼんは嫌だった』というのは主人公の『私』。そんな『私』は、『年の離れたふたりのお兄ちゃんのお下がり』を気に入って穿いています。そんな『私』を見て笑う母親の一方で『嫌な顔』をするおばあちゃん。そんなおばあちゃんは『けいちゃんは女の子なんだから、もっと女の子らしくしなさいな』と、『私とふたりきりのときだけ』言います。『いつも、うんとお洒落していた』おばあちゃんに対し、『覚えている限り口紅も塗らなかった』と対照的な母親は、『あまりに正反対』でした。食事の時間も『目を合わせて話すことはほとんどなかった』というふたり。『私がまだハイハイをしていた頃に、家を出て行った』父親の顔を知らない『私』。そんな『私』が『一緒に遊ぶのは、いつも男の子』でした。さらにその中でも『ガキ大将だった』という『私』。そんな『私』が『小学五年生になったとき、おばあちゃんが入院し』ます。入院した『病室でも口紅を塗っていた』というおばあちゃんは、一方で『みるみる細くなっ』ていきました。そんな時期から『胸が急にふくらみ始めた』という『私』は、『体全体も丸くな』り、『可愛い』と言われることが多くなります。『クラスメイトの私への態度が、少しずつ変わり始め』たのにも気づく『私』。そんな『私』が『スカート穿こうかな』と言うと、『あの「嫌な顔」を』せず、『おばあちゃんに見せてあげたいんだね?』と言う母親。『病院で対面したおばあちゃんは、ものすごく喜』び、『どこからどう見ても「女の子」になった』という『私を見るおばあちゃんの嬉しそうな顔は、私を誇らしくさせ』ました。そんなある日、『可愛いね。』と『学校から帰る途中』に男の人に話しかけられた『私』。『背が高くて、髭がぼうぼう生えていた』という男の人を『うんと大人だった』と思う『私』。そして、家に帰った『私のスカートを見たお母さんは、すぐに警察に連絡』をします。『裸にされ、全身をくまなく調べられ、ごぼうみたいにゴシゴシ洗われた』というその時の『私』が着ていた『スカートには、男のアレ(お母さんはそういう言い方をした)が、何かの徴(しるし)みたいにべっとりとついていたの』でした。そして、母親はそんなスカートを燃やします。『あらゆるものを燃やし始めた』母親は、『「燃やす」という行為に夢中になっ』ていきます…という最初の短編〈燃やす〉。『あなたは悪くないんです』という言葉と共にとても印象深い展開を辿る好編でした。

八つの短編から構成されたこの作品。そんな八つの短編の主人公はいずれも女性です。そして、そんな彼女たちは、何かしら思い悩むシチュエーションに陥った時に、意外な人から放たれた”魔法のことば”によって勇気を与えられます。その言葉が”自分にとってのヒントやおまもりになる”というその言葉。八つの短編の主人公たちは年齢も境遇もバラバラです。そして、そんな”魔法のことば”も当然に異なります。では、そんな短編の中から、私が特に印象に残った三編を見てみたいと思います。(“☆”が”魔法のことば”です)

〈孫係〉: 両親と三人で東京に暮らす小学六年生の『私』が主人公。『長野県で大学の教授をしている』という祖父が学会のために一カ月間『私の家に住むことにな』ります。『うちに泊まることを散々渋った』という祖父を説き伏せ話を進める母親のことを『ママはファザコンだからな。』とこっそり『私』に言う父親。そしてスタートした祖父との暮らしを憂鬱に思う『私』。そんな時、祖父と偶然に二人で話す機会を得た『私』。祖父から与えられた”魔法のことば”が『私』の人生を変えていきます。
☆ 私たちは、この世界で役割を与えられた係なんだ

〈あねご〉: 『お酒ばかり飲んできた』と、十七歳の時から酒を飲み始めた主人公の『私』は、『あねご』と呼ばれるようになります。社会に出てからも酒の場を盛り上げるものの『契約は更新』されずに仕事を続けられない日々を過ごす『私』。そんな『私』は、学生時代の後輩に『あねごは夜の店が合いますよ!』と言われたことを思い出して、夜の店で働き始めます。『お笑い担当のおばさんキャラ』で存在感を示す『私』。そんなある日、店に現れたある男から”魔法のことば”をもらいます。
☆ あなたがいてくれて良かった

〈マタニティ〉: 『子どもが出来た』と、妊娠検査薬に現れた青い線を見て思う『私』が主人公。『いつか欲しいと思っていた』子供を三十八歳になって授かることになった『私』は、関係を持った六つ年下の田端という男のことを思います。『私』が飼い出した猫がきっかけとなり、始まった二人の関係。そして『母親になるのだ』とそのことに感じ入る『私』は、色んな不安感に苛まれます。そんな中でTV番組の中から”魔法のことば”を得ます。
☆ 弱いことってそんなにいけないんですか?

八つの短編に登場した八人の主人公たちは、それぞれの人生において、それぞれが対峙しなければならない状況と向かい合って生きていました。決して生活が行き詰まる、そのような状況にまで陥っていたわけではありません。しかし、何かしら一つの転機が必要な状況ではありました。私たちが生きていく中では、これら主人公のように人生における何らかの停滞期に陥ることは誰にだってあります。そんな時に必要なのは何かしらの”きっかけ”・”起点”です。そんな時に”言葉”というものが持つ力は時として非常に大きな力を発揮することがあります。世の中には”名言”や”格言”など、人の心を動かす”言葉”が山のように存在します。しかし、そんな停滞期にある私たちが、単に名言集を読み漁っても、そこに何らかの”きっかけ”・”起点”を見つけることはなかなかに難しいものです。なぜなら、そんな”言葉”は、あなたに必要な”言葉”を、必要なタイミングで得られた時に初めて意味を持つからです。同じ言葉でもタイミングが違えば、右から左に流れてしまうだけでしょうし、タイミングが合っていても、微妙な”言葉”のニュアンスの違いだけでも、そんな、”きっかけ”・”起点”とはなり得なくなります。わたしは、この分野、つまり、”きっかけ”・”起点”に焦点を当てた小説が大好きです。最近読んだ作品では、青山美智子さん「猫のお告げは樹の下で」が相当します。カタカナ四文字で暗示される”きっかけ”・”起点”によって主人公たちが再び顔を上げ前に進んでいく物語。もちろん作家さんにはそれぞれの色があり、西加奈子さんのこの作品は青山美智子さんのような提示の仕方、展開の仕方はされません。しかし、この作品は紛れもなく”きっかけ”・”起点”に光を当てた物語です。西加奈子さんらしく、その”言葉”が静かに人の日常の中に沁み入るように伝わって効果を発揮していく、主人公たちの次の人生に彩りを与えていく、それが西加奈子さんがこの作品で描かれた『おまじない』の物語なのだと思いました。

『一度もらった言葉は完全には消えないけど、自分が幸せになるために、別の言葉で上書きしていくことができるし、それをやっていきたい』と語る西加奈子さん。”言葉”というものは、それを受け取る人によって、さらにはそのタイミングによって同じ言葉でも大きく変化していきます。この作品の主人公たちがそれぞれ得た”言葉”も、必要な”言葉”を、必要なタイミングで得られたことで、それぞれの人物がその”言葉”を人生の糧としていく”きっかけ”・”起点”とすることができました。しかし、そんな主人公たちが、少し変わったその先の日常の中で必要とする”言葉”は決して以前得た”言葉”と同じものではないでしょう。西加奈子さんがおっしゃる通り、そんな未来には、次の未来を獲得するために、”言葉”を上書きしていくことだって必要になってくるかもしれません。大切なのは、”言葉”そのものではなくて、動けなくなっている自分自身が、如何に顔を上げて前を向いて歩いて行くかということです。そんな西加奈子さんの思いがこもったこの作品。そんな作品からはとても優しい人の眼差しを感じることができたように思います。

西加奈子さんらしい人間ドラマな物語の中に、”きっかけ”・”起点”ものの要素が極めて自然に織り込まれたこの作品。大切なのは決して凝りに凝った”名言”や”格言”などではなく、タイミング、そして、その人にマッチする”言葉”、それが、その人の人生を祝福するものになっていく、『おまじない』になっていく。なるほどな、と、納得感がとても感じられた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 西加奈子さん
感想投稿日 : 2021年12月22日
読了日 : 2021年9月25日
本棚登録日 : 2021年12月22日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする