晩夏に捧ぐ (成風堂書店事件メモ(出張編)) (創元推理文庫) (創元推理文庫 M お 5-2 成風堂書店事件メモ 出張編)

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  • 東京創元社 (2009年11月10日発売)
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あなたは、”幽霊”を見たことがありますか?

という質問は微妙感に溢れています。”いいえ”と答える相手は、恐らくそんな質問を唐突にしたあなたのことを”変な人”と位置づけるでしょう。一方で”はい”と答えられても、その先に続く話に、今度は聞いているあなたがどんな顔をしたら良いか分からなくもなります。真面目に考えれば考えるほどに怖くなり、でも一方で真面目に考えていること自体、”変な人”に見られる可能性がある。”幽霊”というのもなんとも厄介な存在です。

しかし、大人から子供まで、そして国内外問わず”幽霊”は話題としては成り立つ存在でもあります。もしかしたら、本当にいるのかもしれない、もしかしたら、自分も見ることになるかもしれない。本当にいるのかいないのかは別にして、ある意味で”幽霊”とは身近な存在である、とは言えると思います。そして、ここにそんな”幽霊”が話の起点になる物語があります。親しくしていた元同僚から一通の手紙を受け取った主人公。そこには、『単刀直入に言います。幽霊が、出るの』と書かれていました。『青白い人影がボーッと通路に浮かんでいた』というその手紙。『おそるおそる階段を上がってみると、人文書の棚の前に青白い人影がふらり』というその手紙。そして、そんな手紙の主は懇願します。『可哀想でしょ、心配でしょ。一大事でしょ。早くまるう堂に来て。なんとかしてよ』と悲痛な叫びを上げます。さらに、手紙はこんな風にも語ります。

『幽霊の正体ならばだいたいわかっている。それは、二十七年前に起きた殺人事件に絡んでいる』。

この作品は、そんな元同僚からの手紙を読んで『本屋に現れる幽霊の正体を、本屋でなくて誰が暴くんですか』と、事件の解決へと立ち上がる二人の物語。『行けば、地方書店の見学もできますよ』と、老舗書店見学という別の目的にも意義を見出す二人の書店員の物語。そして、それは『まるう堂存続の危機』という老舗書店を救うために立ち上がった二人の”探偵”の活躍を描く物語です。

『本屋は、警察と無縁の職場ではない。万引きが多いからだ』と『これまでも何度か地元の警察官』と話をしたことがあるというのは、『駅ビル六階の書店「成風堂」』で働く主人公の木下杏子。『店に現れたふたり連れ』に警察手帳を見せられ、『店長さんはいますか?』と聞かれた杏子は、店長は閉店まで戻らないと首を振ります。『でしたら』と話を切り出した男は『先週の水曜日、午前十時から正午までの二時間』、『成風堂をよく利用しているという人物』のAさんが、『たしかにこの店にいた』ことを第三者が証言すれば、ある事件の容疑がかかっているAさんのアリバイが証明できる、と説明します。『その日に購入したのは新刊コミックと雑学本、合わせて二冊』で、レシートも存在するが、それだけではアリバイにはならないという警察官。『こちらの店員さんが覚えているという可能性はあるでしょうか』と訊かれるも『正直、先週のこととなると…。まして、限られた時間ずっとこのフロアにいたかなんて』と、戸惑う杏子。電話で店長に連絡を取るも『適当に頼むよ』の一点張り。『憂鬱な気持ちで刑事たちの前に舞い戻り、どう切り出そうかためらっていると』、アルバイトの西巻多絵が現れました。『お客さんが丸二時間、うちのフロアにいたことを証言してあげれば、アリバイが成立する』ということを理解した多恵のことを『賢いだけでなく勘も鋭』い、これまで『何度も多絵の機転に助けられてきた』と頼りにする杏子。そんな中『そのレシートが見たいです。コピーでいいので、刑事さん、見せてもらえますか?』と切り出した多恵は、『そこにお客さんの手がかりがあるかもしれません』と続けます。『レジで精算したのは十二時五分となってますね』とレシートの記載を確認した多恵は、Aさんが買った書籍とレシートの内容からまさかの推理を繰り広げます。『では、Aさんのことはよく覚えているんだね?』、『もちろん』というまさかの推理により、Aさんのアリバイが証明されました。そして、そんなことがあった三日後、『杏子宛に一通の封書』が届きました。『差出人を見ると「有田美保」』とあるその手紙は、『二年前まで成風堂で働いていた元同僚』からのものでした。手紙を開いた杏子はそこに書かれている内容に驚きます。『今、私の働いている「まるう堂」、杏ちゃんの大好きな老舗の本屋は、大変な事態に追いこまれています』と始まるその手紙。そこには、『幽霊が、出るの。もちろん店に』と、怪しい記述が続きます。そして、『なんと私まで、ついにそれを見ちゃったのよ!』という決定的な記述と、『早くまるう堂に来て。なんとかしてよ』と助けを求める記述がなされていました。『杏ちゃんご自慢のバイトちゃんにも』一緒に来て欲しいというその手紙。早速、多恵に話をすると『本屋に現れる幽霊の正体を、本屋でなくて誰が暴くんですか』と極めて前向きな様子。そして、杏子と多恵は三泊四日で、そんな事件の解決へ向けて信州にある老舗本屋へと向かうのでした。

「晩夏に捧ぐ」と、季節感のある書名を冠したこの作品。大崎梢さんの代表的シリーズである「成風堂書店事件メモ」の二冊目に当たります。このシリーズでは、『駅ビル六階の書店「成風堂」』を舞台に、店員の木下杏子と、学生アルバイトの西巻多恵が”日常の謎”を解き明かしていく様が柔らかい筆致で描かれていきます。このシリーズ刊行の直前まで実際に書店員として働かれていた大崎さんが、そんな本屋さんを舞台に描くこの作品では、本屋さんに対する様々な視点からの記述も見所の一つです。この作品では『幽霊が、出るの』という元成風堂店員からの手紙が起点となって、信州の老舗本屋へと杏子と多恵が赴きます。そこで地方の本屋の窮状を目にする二人。一方でそんな老舗本屋のことを『これといった派手な演出はなかった。けれど、初めて訪れた杏子たちでもすぐになじんでしまうような和やかさがあった』と感じる二人は『なぜだろう』と理由を考えます。そして、『丁寧にフロアをまわる店主の目が、実に細かく本を見ているのだ』と気づく二人は『棚を見ている。そして訪れた客を見ている』と感じます。そして、そこに登場するのが『本屋ではよく、「生きている棚、死んでいる棚」という言い方をする』という言葉でした。日々の忙しさの中で『具体的に何が売れ何が売れていないのか、把握するのがつい後まわしになってしまう』ことで『見向きもされない本ばかりが棚を占めるようになる』現状があると書く大崎さんは、『棚を管理する者は出版社や著者に惑わされず、返本するものと残すものとを冷静に見極めなくてはいけない』と鋭く指摘します。そして『早々に売り切れた本はすかさず追加発注をかけ、動きの鈍い本は思い切りよく売り場から外す』、このことによって『棚は生きて売り上げは伸びていく』とまとめます。だからこそ『やればやるほど本屋って面白いよね』という本屋の側の思いを宇都木店主に語らせる大崎さんは、そんな店主の力によって隅々まで行き届いた老舗本屋を『世の中に贅沢はいろいろあるが、これはまちがいなくある種の人間にとって、途方もない贅沢だ』と杏子に語らせます。『時間も場所も飛び越えて、無限の世界に繋がっている』とまとめるそのくだり。そして、極め付きの言葉が杏子から飛び出します。『棚が話しかけてきますね』というその言葉に『そう言ってもらうと、本屋冥利に尽きるよ』と返す店主。このあたりのリアルなやり取り含め、本を愛し、本屋を愛してやまない大崎さんの愛情を物語の中に強く感じました。

そんなこの作品は”日常の謎”を解き明かしていくシリーズの一冊です。しかし、信州へと杏子と多恵が”出張”して推理に当たるこの作品では、『幽霊が、出るの』という起点が、『嘉多山の死因は病気でも事故でもない。殺されたのだ。自宅の離れで滅多刺しにされ、出血多量で亡くなった』と、なんと27年前に起こった殺人事件の真犯人究明に取り組むという予想外な大ごとに展開していきます。しかも、警察が犯人として逮捕した人物は『当時住みこみで作家修業をしていた青年』であり、『犯行のあった翌朝、彼は現場で逮捕され、裁判を経て刑に服した』ものの『わずか二年後、刑務所内で病死した』となんとも後味の悪い展開を辿ります。そこから、『まるう堂に現れる幽霊はこの青年 - 小松秋郎であると、まことしやかな噂が流れていた』と老舗本屋に現れた”幽霊”と過去の痛ましい事件が結びついていきます。そこには警察でさえ解決できなかった謎が残されていました。そして、そんな事件を当時担当した刑事まで登場するという物々しい事態…と、前作「配達赤ずきん」の雰囲気感からは別物の本格的なミステリーの様相さえ漂わせながら物語は大胆に展開していきます。大崎さんが上手いと思うのは、そこに『あさってには帰っちゃうのに。延ばしたとしても、しあさっての朝まで。それで、何がわかるのよ』と、三泊四日という限られた時間、推理のタイムリミットを読者にさらっと提示することで緊張感を上手く作り出しているところです。そんな中で亡くなった嘉多山の遺産相続の観点から犯行に及んだかもしれない人物、結婚を迫られ思い余って犯行に及んだかもしれない人物、そして作家としての将来の道を断たれたと嘉多山を恨む人物など、事件の真犯人と思われる人物に聞き取りを繰り返す杏子と多恵。『本屋にまつわる謎なら、なんでもきれいさっぱり解いてくれる探偵さんです』と紹介されるそんな二人がミステリーに挑むこの物語は、多恵の大胆な推理によって読者を極めてスッキリ、後味さっぱりな中に幕を下ろします。しかし、殺人事件の真犯人を探すミステリーにも関わらず、終始漂うのはどこかほのぼのとした雰囲気感。それでいて、本格的なミステリーを読み終わったような読後感の共存。これは面白い!、と満足の中に本を閉じました。

『がんばります。本屋を踏みにじるような幽霊、思いっきりどついていいんですよね?』と、杏子と多恵の”探偵コンビ”が、信州の老舗本屋の幽霊事件を鮮やかに解決していくこの作品。そこには、27年前に未解決な部分を残したままの殺人事件の真犯人に繋がるまさかのドラマが隠されていました。『幽霊にお引き取り願うなら、事件を解決するのが一番』と、三泊四日の限られた時間の中で、『二十七年前に、警察だってわからなかったことだよ』という事件に取り組む二人の物語は、一方で本を愛し、本棚を愛し、そして本屋を愛する元書店員・大崎梢さんの本への並々ならぬ思いをそこかしこに感じるものでした。

「晩夏に捧ぐ」と名付けられたこの作品。”日常の謎”の延長線上に、本格的なミステリーが違和感なく展開する、とても読み応えのある作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 大崎梢さん
感想投稿日 : 2021年11月22日
読了日 : 2021年8月6日
本棚登録日 : 2021年11月22日

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