桜風堂ものがたり

著者 :
  • PHP研究所 (2016年9月20日発売)
3.96
  • (348)
  • (455)
  • (262)
  • (39)
  • (19)
本棚登録 : 3591
感想 : 426
5

『もっと時間があれば、といつも思っていた。本を売るために、したいこともできることもあると思っていた』

この場で本というものの素晴らしさを語る必要はないでしょう。本が好きで、本が何よりも好きで、本がたまらなく好きでブクログ に集う皆さん。そして、『言葉を愛する者は、言葉を綴らずにはいられない』とこの瞬間にも書かれる素晴らしいレビューの数々。しかし、広く世の中を見渡すと、全年代併せて一ヶ月に本を全く読まないと回答した人が約半数にのぼるという現実。そんな中、『その本の内容に惚れ込み、この本を売りたい』と奔走されるのが本屋の書店員の皆さんです。『自分がしている仕事は、砂金を探すひとに似ている』というその仕事。『読み手にささやかな気分転換をさせることだけが本の力ではない』という本が持つ力。『生きていることが辛いときも、さみしくて死んでしまいたいと思う日々が続いているときも、読みかけの物語の続きが読みたいからと、明日まで、また次の日までと命をつないでいける』という本の力を多くの人たちに伝えるために全力を傾けていく、そんな書店員の皆さんの仕事の舞台裏を描くこの作品。

さて、あなたはそこにどんな物語を読むことができるのでしょうか?

『その朝、月原一整は目覚めが悪かった』と『布団の上に身を起こした』のは主人公の一整(いっせい)。『ずっと昔に亡くなった母親譲りでからだが弱く、小学校を休んで家にこもりがち』という姉のためにベランダに花を咲かせる父、そんな『子どもの頃の夢を見た』という一整。『いまは三月。まだ春休みで、勤め先の書店で小さい子たちが駆け回ったりしているのを見ることが多かったからかも知れない』とその理由を考えます。『古い百貨店の本館六階にある』銀河堂書店で文庫担当として働く一整は昨日の『目に余った』出来事を思い出します。隣の児童書の書棚の前で『床にころがって絵本を積み木代わりに』遊ぶ子供たち。『こちらのお子様たちの保護者のお客様は、どちらにおいでですか?』と呼びかける一整。『謝りながら駆けてきた』子供の親。 そして『赤く目を潤ませて、小さな声で一整に、ありがとうございます』と言う児童書担当の卯佐美苑絵。『涙もろいのは、正直困るんだけどなあ』と思う一整。一方で『ありがと』とつぶやきながら担当の文芸書の持ち場へと戻る文芸担当の三神渚砂。同期の二人を比べて『苑絵と渚砂、雰囲気はずいぶん違う』と感じている一整。『内気でうつむきがちな苑絵と違って、渚砂はいわゆる「カリスマ書店員」』と言う対照的な二人。しかし『仕事以外のことでは、店で誰かと特に会話することもない』という一整。『進んで人付き合いをするタイプでもない』と周囲から見られている一整。『そもそも書店員、それも文庫の担当はそんな暇も無いほどに忙しい』という一整は『時間さえあれば文庫の棚に向かい合い、平台に向かって身を屈めている』と書店員の仕事に邁進します。そんな一整は『これだから春休みは』とため息をつきます。『早く学校が始まってほしいと思う』理由は『学校が休みの時期は、万引きが増える』というもの。先日も『やられた。棚にあったシリーズ物、まとめて二シリーズ、計二十冊盗られました』とコミック担当があげた悲鳴を聞いた一整。『児童書の卯佐美苑絵が、気になる中学生を見た、といっていた』と耳にします。『全国の書店の万引きの被害額が合計で年間二百億円ほどにもなる』という現実。そんなある日、『違和感のあるものが映った』と『遠目にもわかるような緊張した様子』で『おどおどと辺りを見回す』大きなスポーツバッグを持った少年を目にします。そして、この後に少年が取る行動、そしてその結果が一整の人生、そして生き方を大きく変えていきます。

『序章』、そして二つの『幕間』を挟みつつ全八話で構成されるこの作品。読者は『序章』の『とある県の山間に、時の流れから取り残されたような、美しく小さな町がある』という冒頭から一気に作品世界の独特な雰囲気の中に連れて行かれます。しかし同時に、その『序章』は『美しく小さな町』の描写が延々と続き、物語のとっかかりを掴もうとする読者を戸惑わせます。そんな中『朝になったことを知り、ひとり目覚めた「誰か」』とようやく主人公の登場を匂わせる表現が登場します。しかし、それに続くのは『青い目を開け』?『扉を小さな前足で押して』?となんとも思わせぶりな記述。そう、そこに登場するのは『幾分汚れた毛なみの三毛の子猫』というまさかの猫の登場でした。『いちばん好きな言葉は「アリス」。自分の名前』というその子猫。『自分はもうあの家に帰ることはないのだと、アリスにはわかっていた』とまさかの猫視点で進む物語に引き続き戸惑いを覚える読者。村山さんは、そんなふわふわとした猫視点の『序章』で、『小さな町』の風景と子猫の日常を淡々と描いていきます。そして、ようやく第一話となり、前述の『その朝、月原一整は目覚めが悪かった』という普通の物語が始まって安堵するという絶妙な構成。あくまで本編への誘導が目的で置かれるのが『序章』ですが、この作品の『序章』は、作品の雰囲気作りにとても重要な役割を果たしているように思いました。『あとがき』で村山さんが書かれているとおり、この作品は『ファンタジー要素はほぼない物語』なのだと思いますが、一方でこの『序章』はファンタジーとしか思えない内容です。それがこの作品の色を強烈に決定づけてしまうこともあって、本編を読み進めてもその印象が変わることはありません。しかしそのことがリアルだったら少し許容し難い内容であっても、極めて自然にまったく違和感なく読み進められるという絶妙な効果を発揮しているように思いました。

そして、この作品では、最初から最後までうっとりとするような美しい言葉、情景描写がこれでもかと登場します。これが、ファンタジーの雰囲気をさらに盛り上げていきます。そんな美しい描写を一箇所ご紹介します。『桜風堂書店』を一整が初めて訪れる場面です。『橋を渡るにつれ、その小さな書店は、少しずつ近づいてきた』と読者に期待を持たせる導入。『桜風堂、という名の通り、店は大小の桜の木々に囲まれている』とイメージ通りの安心感をまず与えた上で、周囲の情景を『昼下がりの空には、柔らかな雲がたなびいている。雲の合間から、静かに金銀の光が射して、桜風堂と木々に降りそそいだ』と神々しささえ感じさせる表現で桜風堂の特別感を演出していきます。さらに『花びらが、まるで水晶の欠片を振りまいたように、幾十も幾百も、光りながら風に舞っていた』とさらに雰囲気を盛り上げます。それが『異世界への入り口であるような、そんな場所に見えた』という言葉に説得力を与えることに繋がります。そして、そんな店の前に立ち、古い看板を見上げる一整は『はじめて訪れたはずの店なのに、帰ってきたような気持ちになったのはなぜだろう。どうしてこんなに、懐かしさに胸が痛くなるのだろう』という思いに囚われていきます。「桜風堂ものがたり」と書名に登場し、ある意味でいちばんの主役でもある『桜風堂書店』の登場シーンは、村山さんの絶妙な文章に彩られ、まさに真打登場!と言った最高の演出をもって描かれる感動的なシーンでした。これを作品の三分の二ほどのところに持ってきた村山さん。これからこの作品を読まれる皆さんは是非この『桜風堂書店』の登場シーンの全容を楽しみにしていただければと思います。

『いつもそうだ。どの本を推そうと思うかは、天啓のようなひらめきによるものが多い』という抜群の選書センスで『宝探しの月原』と呼ばれる書店員・一整の物語。普段、本屋を利用してもそこで働く書店員の皆さんを意識することはまずありません。しかし、『一整が選び並べた本でないと、お客様に出会う機会が無い』という、その書店員さんの仕事によって我々は本を手にしていることに気づきます。『棚や平台のどこにどう並べるかによって、本と読み手との出会いの運命は変わる』という本との出会い。例えば今日本屋に行って、偶然にも素晴らしい本に巡り合えたという結果も、実は『お客様が一冊の本と出会う運命も、本がお客様に選ばれる運命も、一整が司っているのだ』という書店員さんの見えない仕事の存在なくしては語れないという事実。それは『その本を必要とするひとのところに、本が届いてくれるように』という書店員さんの願いでもありました。『それぞれの場所で、元気に戦っている書店員さんは、全国にたくさん在るのです』という村山さんが描く『本屋さんたちに捧げるために書いた物語』でもあるこの作品。

春風にふかれながら、桜の花びら舞い散るファンタジーの世界に迷い込んだような気分に包まれた読書。何も悲しいことはないはずなのに、寄せては返す波のように何度も涙が溢れるあったかい気持ちに包まれた読書。そして、『生きることをあきらめるな。幸せになることを。前に進むことをあきらめたら、人間その場で腐っていくだけだ』という力強い言葉に勇気をもらった読書。

読書中何度もこみ上げてきたあたたかいもの。
そして、なんとも言えない幸福感に包まれた読後。「桜風堂ものがたり」、それは『涙は流れるかも知れない。けれど悲しい涙ではありません』という意味をしみじみと感じた、村山さんの描く絶品でした。

村山さん、こんなにも深い感動をありがとうございました!!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 村山早紀さん
感想投稿日 : 2020年9月12日
読了日 : 2020年8月30日
本棚登録日 : 2020年9月12日

みんなの感想をみる

コメント 1件

バス好きな読書虫さんのコメント
2021/02/22

さてさてさん
コメントをいただき、ありがとうございました。恥ずかしながら、さてさてさんの「桜風堂ものがたり」のレビューを読んで、読んだ時の記憶が蘇って、また涙が溢れてきました。
私はブクログを読書記録としてしか使っておらず、あまりフォローも気にしておりません。さてさてさんをフォローしたのも、あまり覚えておらず…ごめんなさい。それなのに、以前から私のことを知っていてくださって、丁寧にコメントまでいただき、大変恐縮です。あまり他の方の本棚まで入り込むことがないのですが、敢えて、この作品にコメントさせていただきました。
個人的には本棚の最新にある「ブルーもしくはブルー」が非常に懐かしく、食いつきそうになりましたが…私なんて、大したことは何も書いておりませんが、こちらこそよろしくお願いいたします。

ツイートする