月の立つ林で (一般書)

著者 :
  • ポプラ社 (2022年11月7日発売)
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あなたは『どうして月がお盆のように見えるか』ご存知でしょうか?

なんとも唐突な質問から始まった本日のレビュー。でも、そんなこと言われてもわかりませんよね。誰もが小さい頃から見上げてきた夜空の『月』。同じように空にあってもじっくり見るわけにはいかない太陽と違って、『月』は古の時代からそれ自体が眺める対象となってきました。”月を愛でる”という言葉があるくらいじっくり眺めることのできる『月』に人が愛着を持つのは当たり前とも言えます。

しかし、地球からはるか彼方にある『月』にはまだまだわからないことだらけです。とは言え科学技術の進歩が『月』に隠されていたさまざまな謎を解き明かしてもきました。知ってみればなるほどと思える知識の数々。私たちにとってこれまでもこれからも身近な存在であり続けるものであるからこそ、そんな知識さえ愛おしく感じてもきます。

さてここに、『月を偏愛する男性』が『月についての豆知識や想いを語り続けるという』『ポッドキャスト』が登場する物語があります。そんな番組に耳を傾ける主人公たちが登場するこの作品。そんな番組の語りに何かしらの気付きを得る主人公を見るこの作品。そしてそれは、『新月を「月が立つ」という表現、すごく素敵だな』という語りの先に心があたたかく解放されていく主人公たちの姿を見る物語です。

『玄関のドアを開け』ると、『あっ、怜花ちゃん、おかえりなさい』と、『お隣の家に住む樋口』に迎えられたのは主人公の怜花。母親と話していた樋口は、これから『友達と旅行に行くこと』になっているものの『ダンナが出張中』、『ペットホテルもいっぱい』なので『佑樹くんに電話したら、預かるよって言ってくれた』と来訪した経緯を説明し、『それが、佑樹と連絡がつかない』と母親が補足します。『申し訳ないんだけど、ルナを預かってくれないかしら』と懇願する樋口は『三日ぐらい』と付け加えます。『いいですよ。私、預かります』と答えた怜花に『怜花ちゃん、看護師さんだから安心だわ』とホッとした様子の樋口。そんな樋口に『猫を預かることと、いったい何の関係があるのだろう』と思う怜花は、『看護師をなんだと思っているのかと、いつも納得のいかない気持ちにな』ります。そして猫を置いて出て行った樋口に『突然お友達と旅行だとかって、隣の家に猫を押し付けるなんてちょっとあきれるね』と言う母親に『まあ、いいよ。どうせ私、家にいるし』と答える怜花が『小皿に水を入れて床に置くと、ルナはまっすぐにやってきてぴちゃぴちゃと飲み始め』ました。そんな怜花は、『三ヵ月前』『長年勤めた総合病院を辞め』ました。『次の仕事のあても』ない中に『ただ、続けていられなくなって辞めた』という怜花は、『実家暮らしだから困らない』という中に『家を出るタイミングを逃して』います。そもそも『四十過ぎの女がひとり、無職では部屋を借りることが出来ない』と自覚もする怜花は、『仕事を。そう、いずれにしてもまず仕事を見つけなくては』と焦る中に『十社ほどの会社に応募するも『さんざんな』結果を見ることを繰り返します。そんな怜花は、『時間がきて缶詰のキャットフードを与え』ながらルナの様子を見ます。『本当におとなしくて人懐こい子』とルナのことを思う怜花は、『ノートパソコンを起ち上げ』、『フォローしているポッドキャストの番組を開』きます。『ツキない話』というその番組は『タケトリ・オキナという人』が『午前七時、毎日毎日、十分間』更新しています。『最初にそれを聴いたのは、仕事を辞めた翌日だった』という怜花は、『何か心が安らぐような曲を聴きたくなっ』て、さまざまに検索する中『濃紺の無地に、白い手書き文字で書かれたジャケット』を目に留めます。『月についての豆知識や想いを語り続ける』というその番組を提供する『タケトリ・オキナ』の声を『穏やかで優しくて、安心した気持ちになる』と耳を傾ける怜花は『少しの間だけ、自分の周りに起きている煩雑な出来事を忘れられる気がし』ます。そして、『今日の配信タイトル』である『世話好きの月』をクリックした怜花の前に『…竹林からお送りしております、タケトリ・オキナです。かぐや姫は元気かな』と声が流れてきました。そんな中、『デスクの隣にあるベッドに、ルナがひょいと乗』ります。『月ってね、できたばっかりの頃は、今よりもうーんと近くにあって、今よりもうーんとでかく見えて、地球の周りをたったの五時間で回ってたんですよ…』と語り始めた『タケトリ・オキナ』『の語りに身をゆだねながら、月に想いを馳せる』怜花。そんな怜花が今までの人生を振り返る中にひとつの気づきを得る瞬間を見る物語が描かれていきます…という最初の短編〈一章 誰かの朔〉。全編に登場する『ツキない話』という『ポッドキャストの番組』を絶妙に物語に落とし込んでいく好編でした。

“つまづいてばかりの日常の中、タケトリ・オキナという男性のポッドキャスト『ツキない話』の月に関する語りに心を寄せながら、彼らは新しくてかけがえのない毎日を紡いでいく”と内容紹介にうたわれるこの作品。本屋大賞2023で第五位にランクインしています。青山さんの作品というと登場人物が緩やかに繋がっていく連作短編が印象的です。この作品も五つの短編に登場人物がうっすらと繋がりを持ちますが、それよりもこの作品で大きな関係性を持つものがあります。それこそが『ポッドキャスト』の『ツキない話』という番組です。あなたは、『ポッドキャスト』というものを知っているでしょうか?残念ながら私は名前こそ知ってはいるものの聞いたことがなければ、それがどういうものかも知りませんでした。選書ミスをしたかもしれない…と一瞬焦りましたが、読み進めていく中にそんな心配が稀有であることがわかりました。『ポッドキャスト』について知識がなくても心配ご無用です。青山さんは最初の短編の主人公・怜花も『ポッドキャスト』を全く知らないという設定にすることで、彼女が『ポッドキャスト』と出会うところから始めてくださいます。

主人公の怜花は『何か心が安らぐような曲を聴きたくなっ』て、『アマゾンミュージックで曲を探しているうち』、ふと『いつもバーに表示されている』『ポッドキャスト』という文字が気になります。

・『マークはどうやらマイクを表しているらしい』。

・『開いてみるとラジオのような無料コンテンツだとわか』った。

思わず怜花が取った行動をなぞるように『アマゾンミュージック』を開いてみた私はそこにこんなものがあったんだ!と驚きつつ、一旦読書をストップし、幾つかの番組を開いて聞いてみました。残念ながら、『ツキない話』と打ってもこの作品のようには当該の番組は表示されませんでした(笑)が、なるほどこれが『ポッドキャスト』なんだ!と理解ができました。

そして、この作品で五つの短編共通で登場するのが『博識で、ちょっとユーモアがあって、表現豊かな男性』という『タケトリ・オキナ』が『午前七時、毎日毎日、十分間』更新している『ツキない話』という番組です。『月についての豆知識や想いを語り続けるという』『月を偏愛する』『タケトリ・オキナ』による番組に魅せられていくそれぞれの短編の主人公たち。作品では、

『竹林からお送りしております、タケトリ・オキナです。かぐや姫は元気かな』

そんな風に語り始められます。そして、番組では『月』に関する情報がさまざまに語られていきます。『豆知識』と言われるだけあって、へえー!と読者が思うであろう内容などそれだけを追っていってもなかなかに興味は尽きません。では、それがどのようなものかひとつだけご紹介しておきましょう。『球体っていうのはだいたい、正面から光が当たると、中央部分は明るいけど周辺部分は暗く見えるでしょう』と『玉』の特製を語り始めるその番組は、『月』がそうは見えないことを説明します。

『月だって球体だから、本来なら縁のほうはぼんやり暗くなるはずなんですよ。でも月は中央部分も周辺部分も同じように明るく光っていて、まるで平面みたいに見える。満月を見ればまさに、玉ではなくお盆です』

確かに言われてみればそうですね。『縁のすみずみまで、同じように平らに光って』います。物語ではそんな話を聞いた主人公も同じように不思議に思う様子が描かれます。そして、『タケトリ・オキナ』はこんな風に続けます。

『どうして月がお盆のように見えるかというと、レゴリスという、月の砂のおかげなんです』。

ここでは、これ以上の詳述を書くことは避けますが、物語では『レゴリス』というものについての説明がなされるだけでなく、『これはきっと、僕にとってのレゴリスだ』という感じで、『ポッドキャスト』で登場した内容が物語に巧みに落とし込まれていきます。単に『ポッドキャスト』の『豆知識』を並べるだけでなく、それも含めて一体となった物語が展開する見事な構成。『ポッドキャスト』なんて知らないという方にも問題なく読み進めていける青山さんの作品作りの上手さを感じる展開がそこにあります。

そんなこの作品は五つの短編から構成されています。緩やかに繋がりをもつ五つの短編の内容を見ておきたいと思います。

・〈一章 誰かの朔〉: 『三ヵ月前』『長年勤めた総合病院を辞めた』という元看護師で四十一歳になる怜花が主人公。『仕事を見つけなくては』と就職活動を進めるも『結果はさんざん』という日々を送る怜花は、『新しい仕事が決まれば、私にも新しい時間がスタートするのだろうか』という思いの中、『ツキない話』に耳を傾けます…。

・〈二章 レゴリス〉: 『ひどい靴ずれ』の中、『宅配便』を配達するのは主人公の本田。そんな本田は『八年前、二十二歳のとき』に『お笑い芸人になりたい』という夢を抱いて『青森から上京してき』ました。大学卒業後、スマホで見つけた『養成所』に入所し、『ポン重太郎』という芸名で活動を始めた本田でしたが…。

・〈三章 お天道様〉: 『内川信彦です。はじめまして』と『家に現れた』『なまっちろくてひょろっとした、頼りなさそうな眼鏡男』を『こいつが、亜弥と』…と見るのは主人公で亜弥の父である高羽。『結婚して、福岡に行きます』、『私、妊娠してるの』と言う亜弥に『順番が違うじゃねえか』と不満に思う高羽は…。

・〈四章 ウミガメ〉: 『お父さんとお母さんが離婚したのは私が中学一年生のときだ』と母親と二人で暮らすのは高校生の逢坂那智。そんな那智は『新しく恋人みたいな人ができた』と母親のことを思う中に自立を目指し、『ウーバーイーツ』の配達員をすることを決めます。そして、『スクーターを買おう』と思い立ちますが…。

・〈五章 針金の光〉: 『ハンドメイドのアクセサリーを作って販売している』というのは主人公の北島睦子。『順調に売り上げを伸ば』す一方で、家の中で夫が出す生活音を作業の支障に感じ出した睦子。そんな睦子は、『自宅の近くにアパートを借り』たことで作業が捗るようになりました。そんな中、出版社から思わぬオファーが…。

五つの物語の主人公は年齢も置かれた境遇も全く異なります。それぞれの主人公たちに特別に大きな事件が起こるわけではありませんが、それぞれの生活の中に何かしらに思い悩みそのことに囚われた日々を送っています。〈二章 レゴリス〉の主人公・本田は『お笑い芸人になりたい』という夢を捨てきれない中に宅配便配達をする毎日を過ごしています。〈四章 ウミガメ〉の主人公・那智は離婚した母親と暮らすも『お母さんはあまり私のことを見ない』という思いの中、母親から自立したいと思いを募らせていきます。そして、〈五章 針金の光〉の主人公・睦子は『ハンドメイドのアクセサリー』が売れ出したことで『どんなことからも邪魔されない』という場所に籠る中に、夫や夫の母親との間に距離を作ってもいきます。それぞれの主人公たちに共通するのはそれぞれの日々に基本的には納得している一方で、何かが違うという違和感を合わせて抱えていることです。この作品では、『ポッドキャスト』の『ツキない話』という番組で『タケトリ・オキナ』が語る『月』にまつわる話の中に主人公たちがヒントとなる起点・きっかけを得ていく物語が描かれていきます。それらは極めて抽象的なものでもあります。しかし、抽象的だからこそ、それぞれの主人公たちはその言葉を自分なりの解釈に落とし込んでいくことができます。そのことがそれぞれの気持ちをスッと前に切り替えてきく起点・きっかけとすることができるのです。作品では、最後の短編、〈五章 針金の光〉において、そんな『タケトリ・オキナ』という存在にも切り込んでいきます。『タケトリ・オキナ』まで含めた全ての主人公たちにあたたかい眼差しを向ける物語、「月の立つ林で」という独特な雰囲気感に満ち溢れた書名含め、青山さんの作品らしい優しい物語がそこにはありました。

『私は今まで「できなかった」のではなくて、「しなかった」だけなのだ』。

さまざまな境遇にある五人の主人公たちがそれぞれの人生の中に抱く悩み苦しみが描かれていくこの作品。そこには、『ポッドキャスト』の『ツキない話』の語りに人生を前に進めるための気付きの瞬間を見る物語が描かれていました。『月』にまつわるあんな話こんな話に興味を掻き立てられるこの作品。そんな話から気付きの瞬間を絶妙に展開させていく青山さんの上手さに魅せられるこの作品。

『月』という独特な雰囲気感を醸し出す存在が、青山さんの作り出す物語世界に絶妙にマッチする、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 青山美智子さん
感想投稿日 : 2023年9月27日
読了日 : 2023年9月15日
本棚登録日 : 2023年9月27日

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