『柄谷行人「力と交換様式」を読む』の読了後、交換様式Dは自らの意志では達成不可能なものである、しかし何もしなくてもよいわけではないという主張に、説得的な説明が不足していると感じていた。本書を読むことで、その行間を一定程度埋めることができた。
議論の出発は、人間の攻撃性を所与のものとするところにある。その攻撃性を自己に向けたとき「超自我=文化を形成する」(16頁)。この「自然の狡知」は無意識により生まれるのだから、交換様式Dは「自らの意志では達成不可能」としたのではないか。
また、歴史が示すように、ヘゲモニーは闘争によってのみ成立してきた。右の通り、人間の攻撃性はもはや否定することができないほどの根源的なものであるからこそ、少しでも戦争による犠牲を生じないよう努力することが求められるのである。
そのほかにも、日本国憲法の先行形態を徳川時代に求めたこと、カントの『永遠平和のために』は実践的な構想であったがゆえに「現実的でない」との批判を呼んだこと、120年の周期で歴史が繰り返していることなど、重要な指摘は多くあった。
しかしながら、柄谷の依拠する「自然の狡知」などフロイトの精神分析は、いったん消化したものの、自分の言葉で説明しようとすると補完すべきところの多いスピリチュアルなものとなってしまう。これは私の無学によるところであるので、より精緻な理解とするために著作を読みたい。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
3 社会科学
- 感想投稿日 : 2023年10月14日
- 読了日 : 2023年10月11日
- 本棚登録日 : 2023年9月17日
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