自由からの逃走 新版

  • 東京創元社 (1952年1月1日発売)
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タイトルから連想されるとおり本書は、自由が近代人にとって何を意味し、そして近代人がどのようにして自由から逃れるかをテーマにしている。

中世世界にあった疑う余地のない帰属感と安定性を奪われた人々の多くは自由によって、力と自信よりも孤独と個人の無意味さを痛感させられた。絶対的な安定を奪われた人間が新たな絆を求める努力の多くは、「サド・マゾヒズム的性格」として表れる。サディズムとマゾヒズムの根底にみられる目的は共棲であり、「権威主義的性格」と言い換えられる。この性格はただ支配と服従だけを経験し、連帯は経験せず、平等と自由に基礎づけられる「愛」と対立する。

1941年の著書である本書は、第二次世界大戦のさなかにあったドイツ・ナチスによるファシズムを具体的な問題としている。「ナチズムの心理」と題された第六章ではヒトラーの分析に多くを割き、彼のパーソナリティーが、前述のように自由がもたらす孤独や無力さに怯える人々のサド・マゾヒズム的な衝動を受け入れる土壌になったと指摘する。

安定を求めて「自動人形」となった人々は自分自身の思考や決断を失う。このように自らが本当に欲するものを知らない人々がファシズムの土壌を育む。そしてこのような人びとは、人間を巨大な経済的機械の歯車として組み込む資本主義下においてありふれている。著者は、自由が導く新たな権威主義的な依存を回避するために必要なのは個々の自発性だとし、その主な構成要素として「愛」と「(自発的で自らの意志による)仕事」を挙げる。同時に、自分が本当になにを欲しているかを知ることは困難な課題であることを説いている。

最近読んだ『カルトはすぐ隣に』において、犯罪に加担した元オウム真理教信者たちの多くが、「自分の感受性を信じ、自分で考えるべきだった」と悔いた事実が、本書において著者がファシズムに侵されないのは自発的な思考であるとする結論と同様の着地点であることに説得力を感じた。また、「ナチズムは純粋な政治的ないし経済的な原理はなにももっていなかった」「ナチズムの原理といえばまさにそのはなはだしい日和見主義である」という指摘についても、有権者が為政者のありようを監視する際のポイントとして有用な知見だと思える。

自由によってもたらされる孤独と無力感によって陥る「権威主義的性格」による状況は、上記のように今日的な多くの問題をも想起させられ、1951年に刊行された邦訳版の本書が版を重ね続け、購入時点で127版を数えている事実にも納得する(そのこともあって、やや古めかしい語彙も使用されている)。終章には勇気づけられる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年5月8日
読了日 : 2021年5月8日
本棚登録日 : 2021年5月8日

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