憲法とは何か (岩波新書 新赤版 1002)

著者 :
  • 岩波書店 (2006年4月20日発売)
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筆者は、立憲主義は人間の本性にそぐわないと考えている。誰もが共通の真理や正義を信じ、それにしたがって生きることができる、「正義の味方」が悪を斬る時代劇のような分かりやすい世界に比べ、自分の思うように考えたり行動したりできる「私的空間」と、異なる考え方や利害を異にする立場の者と生活を共にしなければならない「公共空間」を区別し、法によって利害を調整しつつ生きることを選ぶ立憲主義に基づく近代以降の世界は、たしかに中途半端で、すっきりしないかもしれない。

しかし、二度の大戦とそれに続く冷戦の時代を経て、世界の多くの国がリベラル・デモクラシーの世界を選択していることはまちがいのないところだ。憲法が明記されている日本のような国も、明記されていないイギリスのような国も、立憲主義に基づくリベラル・デモクラシーを維持し続けようとしている。特定団体間の利害調整に明け暮れる現代の議会制民主主義は、本来のデモクラシーから見れば頽落した体制であると考えるカール・シュミットのような人もいるが、ファシズムや共産主義のその後の運命を考えれば、現実問題として、今の世界に立憲主義に替わるものを提示することは難しかろう。

しかし、憲法は、ただ我々の生活や安全を保証する有り難いものではない。憲法さえ変えればすべてうまくいくというような風潮が今の日本にはあるようだが、立憲主義の世界で、守るべき「国」というのは、現実に我々が暮らす土地や自分たちの生命を意味していない。「国」とは、その憲法に基づく法秩序の体制である。その意味では、先の戦争は旧憲法下の「国体」を護持するために戦われ、人々の暮らしそのものが成り立たなくなった時点で、旧憲法に代わって新しい憲法を得たのである。

憲法改正問題で最も大きな問題と考えられるのが、九条をどうするか、という点である。日本国憲法の中心とは、言うまでもなく立憲主義と平和主義である。それを大事だと思うなら、憲法はいたずらにいじらない方がいい、というのが筆者の考えだ。法学者らしく、論理的に導き出された結論が、日本国憲法は「準則」ではなく、「原理」であるというものだ。長くなるが大事なところなので原文を引用する。

自衛のための実力の保持を全面的に禁止する主張は、特定の価値観・世界観で公共空間を占拠しようとするものであり、日本国憲法を支えているはずの立憲主義と両立しない。したがって、立憲主義と両立するように日本国憲法を理解しようとすれば、九条は、この問題について、特定の答えを一義的に与えようとする「準則(rule)」としてではなく、特定の方向に答えを方向づけようとする「原理(principle)」にとどまるものとして受け取る必要がある。こうした方向づけは、「軍」の存在から正当性を剥奪し、立憲主義が確立を目指す公共空間が、「軍」によって脅かされないようにするという憲法制定権者の意図を示している。

憲法が主権者の暴走に歯止めをかける役割を果たしているという点から考える時、もし、九条を字義通りにとらえ、自衛権も認めないとするなら、国家に帰属することによって自己の生命や財産を保全しようと考える多くの国民にとって、その解釈はデモクラシーの原則を踏みにじった決定を押しつけるものととらえられるだろう。その一方で、「軍」を明文化し、その存在を明確化しようとする提案は、公共空間の保全を目指す憲法の機能を揺るがしかねないものとなろう。

目下のところ、教育基本法「改正」が国会論議の中心であるが、それが成った暁には改憲論議が高まるに相違ない。思ったよりも過激ではなく見える政府自民党案だが、改正手続きの段階で国会議員の「三分の二の賛成」が必要というところを単純過半数に改訂しようという動きがある。国民投票のあり方も含め、現実に論議されるべき問題は多い。

改憲派にも護憲派にも、自分たちの考え方こそが正しいのだから、という「分かりやすい世界」観の上に立った物言いが目立つ。価値観を共有できない者たちが共に暮らす社会なのだからこそ、難しい問題を易しく解説してくれる、このような本が多くの目にふれることを望む。あまり手にすることのない新書版だが、このような重要な問題であるからこそ、誰にでも気軽に手にとることのできる新書という形態が望ましいのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 思想
感想投稿日 : 2013年3月8日
読了日 : 2006年5月28日
本棚登録日 : 2013年3月8日

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