橋本治と内田樹 (ちくま文庫 は 6-19)

著者 :
  • 筑摩書房 (2011年7月8日発売)
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感想 : 31
4

読む人を選ぶ本である。五十歳代の男性なら、共感できるところが多いだろう。対談集だが、どちらかと言えば、橋本治が主で、内田樹が控えに回っているところが面白い。内田樹といえば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、次々と本を出しまくっている超売れっ子である。

一方、橋本治はといえば、「背中の銀杏が泣いている。止めてくれるなおっかさん。」のポスターで売り出したことを知っている人が今どれだけいるだろうか。それよりも、『桃尻娘』や、その桃尻語で訳した『枕草子』に始まる日本の古典の現代語訳シリーズのほうが今では有名かも知れない。美術、歌舞伎にも造詣が深いマルチ・タレントとして異彩を放つ。

ではあるが、橋本の本はまともに書評されたことがないのだそうな。「小説現代」でデビューした橋本は文芸二に属していて、「文学界」や「群像」のような所謂文芸一との間には、一本の線が引かれているらしく、文二のほうは中間小説と呼ばれ、文一の「純文学」とは同じ扱いをされないのだという。この文一、文二という分類の仕方が可笑しい(橋本と内田はともに東大卒)。

ジャンルを軽々と飛び越え、編み物の本も書けば、ちくまプリマー新書(このシリーズを企画したのも橋本)のように教科書風の本も書くという橋本のような書き手は、批評家としても批評しにくい相手にちがいない。そういう意味では、この対談集は内田による「橋本治」解剖という狙いがあるのではないだろうか。そう考えると、誰にでも喧嘩を売ると豪語する内田のここでの低姿勢ぶりが理解できる。

実際、東大の先輩にあたる橋本に対し、内田は以前から秘かに尊敬の念をあたためていたらしい。評者などは読んだこともない「アストロモモンガ」だとか「シネマほらセット」などというばかげたタイトルの本や「デビッド100コラム」や「ロバート本」などという巫山戯たものまで読破しているらしい。頒価が1100円だったところから『ナポレオン・ソロ』を洒落てみたというが、分かる人がどれだけいたことか。

『窯変源氏物語』九千枚を書く中で、夕霧中将が漢詩を書くのだが、紫式部も実際の漢詩までは書いていないのを平仄から勉強して漢詩を作ってしまったというから、橋本治、並みの凝り性ではない。また、それをごく自然にやってしまうというあたりにずば抜けた才能を感じるのだが、評者などから見れば対談相手の内田樹もそんじょそこらのインテリとは頭の良さがちがうと常々感じていたのに、橋本相手だと内田がただの優等生にしか見えないほど、橋本のパーソナリティはブッ飛んでいる。

橋本の放つ言葉に、「はあはあ」とか「ふーむ」と返事をするばかりの内田に、ファンはいつもとちがう焦れったさを感じてしまうにちがいない。「ひさしを貸して母屋を取られる。」ということわざがあるが、今売り出しの内田センセイが、どこかの知らないご隠居に説教されているような雰囲気が濃厚なのである。

しかし、そこは賢明な内田センセイのことだ。はじめから、そういう狙いでこの対談を受けたにちがいない。素晴らしい才能が世間にまともに評価されていないことに業を煮やし、自らヨイショに出たのだろう。狙いは当たったのではないか。ヨイショに気をよくしたわけでもないだろうが橋本治が結構素顔を見せている。

啓蒙家的な素質を持つ橋本治と大学教授でもある内田樹の対談である。若者や教育について卓見が光る。また、身体論、古典芸能への傾倒ぶりもある年齢を迎えた読者には興趣が深いものがある。喫茶店の隅で、煙草でも吸いながら、頭のいい二人の話を聞いているようで実に愉しい。特に近頃どこでも肩身の狭い思いをしている愛煙家にはお薦め。溜飲の下がる思いのすることうけあいである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 対談
感想投稿日 : 2013年3月6日
読了日 : 2009年1月24日
本棚登録日 : 2013年3月6日

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