昭和二十年夏、女たちの戦争 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA (2012年7月25日発売)
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 『昭和二十年夏、僕は兵士だった』は、現在著名な5名の男性の戦時中の体験談だったが、こちらは現在著名な5名の女性の体験談。それも、兵士の母、妻、娘という立場ではなく、当時10代20代の独身だった方たち。

 著者も書かれているけど、銃後の生活の話なので、戦地の体験談と違い、目を覆いたくなるような無残な場面は少ない。
 それでもやはり、戦争の恐ろしさはヒシヒシと感じる。
 むしろ、自分は今のままの制度であるなら、性別的にも年齢的にも戦地へ行く事はまずないので、成る程、ひとたび戦争が起これば、自分たちの生活はこうなるのだと、その恐ろしさをより具体的に感じた。

 当時NHKのアナウンサーをしていた近藤富枝氏の話の中で、終戦後数日経った頃、局内で「戦地から男性放送員が帰ってくるから、女子の放送員は辞めて職場をゆずれ」という声が出たというくだりがある。
 これを読んで思い出したのが、アメリカ映画の『プリティ・リーグ』。野球選手たちが皆兵隊に取られてしまい、プロ野球の運営が難しくなってしまった。その為に作られた女子野球リーグの選手たちの、実話を元にしたストーリー。
 国力の差を感じる話ではあるけど、彼女たちもまた、戦争が終わる頃になると、オーナーたちに「男の選手が帰ってくるから、女子リーグはお役ご免、女子選手たちは台所へ帰せ」と言われてしまう。
 それからもう一つ、『硫黄島からの手紙』で、亡くなった米兵の所持品に故郷の母親からの手紙があり、それをバロン西が翻訳しながら読み上げる。周りで聞いていた日本兵たちが「自分たちと何も変わらない」と感じるシーンも思い出した。

 他にも色々な印象に残る出来事、言葉があったけれど、一番衝撃を受けたのが吉武輝子氏の話の中の「本当の民主主義教育がなされたのは、敗戦から朝鮮戦争まで」という言葉。朝鮮戦争以降は、軍国主義時代とはまた違った形の管理教育に変わって行ったと。
 確かに世の中どんどん管理社会になって行くよな、という印象は常に持っているけど、そうか、もう私が生まれた時には「本当の民主主義」ではなくなっていたんだと思ったら、えー、じゃあ今までの自分て何だろうという気持ちがした。
 吉武氏が言う「本当の民主主義」ではなくても、一応「民主主義」の中で育って来た私が、「本当の民主主義ではない」というたった一言でこんな衝撃を受けるのだから、自分が今まで信じてきたイデオロギーが一瞬にして覆されるというのはどういう気持ちなんだろうと、改めて考えようと思った。

 それにしても、操縦しているアメリカ兵の表情が見える程近くから機銃掃射に狙われた、そして戦後、14歳で9人のアメリカ兵から性的暴行を受けた吉武氏の、相手をただ呪うのではなく、何故彼らはああだったのかと思いを巡らせた事、何て強い女性なのだろうと思ったけれど、氏の「心の傷などなくても、深くものを考え、勇気を持って行動する。そんな人生がよかった。そんな女性でありたかった」という言葉は心に刺さる。
 戦争に限らず、色々な争い事の原因を知ると、必ず想像力の欠如があると思う。
 悲惨な経験をしなければ何事も分からない、それでは人間である意味がない。人間には考える力、想像力があるのだから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 戦争(国内・ノンフィクション)
感想投稿日 : 2012年8月25日
読了日 : 2012年8月25日
本棚登録日 : 2012年8月25日

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