アビエイター 通常版 [DVD]

監督 : マーティン・スコセッシ 
出演 : レオナルド・ディカプリオ  ケイト・ブランシェット  ケイト・ベッキンセール  アレック・ボールドウィン  イアン・ホルム 
  • 松竹
3.13
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感想 : 107
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破天荒な億万長者のハワード・ヒューズは、現代のリチャード・ブランソンとイーロン・マスクとヒュー・ヘフナーを合わせたような人物。冒険野郎で、難題にチャレンジして成功させる実業家、さらにプレイボーイとしても有名。
そして注目すべきは、1.1億ドルの製作費もさることながら、最大の見せ場である身も心もズタズタな状態で公聴会に臨み見事な反撃をみせたシーンでしょう。
以下は、そんな彼の晩年を詳しく。
ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.、1905年12月24日 - 1976年4月5日)は様々な事業を手がけ、多才な大富豪として名声を手にしたが、その晩年は安穏とはいかなった。1946年の墜落事故で負った傷の止痛薬から彼は、麻薬(コデイン)中毒を患い、深刻な精神衰弱になった。
数回の墜落事故による脳への損傷が原因と疑われる強迫性障害らしき行動を彼はたびたび起こしていたが、その異常行動は年を取るにつれ頻繁になった。潔癖症に陥ったヒューズは、極度に細菌を恐れるようになり、トランス・ワールド航空を売却した資金で、1966年にネバダ州のラスベガスにある有名なカジノホテル、デザート・インを買収すると、完全に除菌された最上階のスイートルームから、殆ど外出しなくなる。
ヒューズはドアノブを除菌されたハンカチで覆わないと触れなかったり、手を洗い始めると肌が擦り切れ血が出るまでその動作をやめられなくなり、手の洗浄や入浴が一切できなくなったという。そのため、彼の髪や髭は伸び放題となり、身体は垢にまみれ悪臭を放っていたという。
ヒューズの強迫性障害については、母親から受けていた身体検査、肉体的な過干渉が影響していると見られており、1990年代以降であればフルボキサミンなどの選択的セロトニン再取り込み阻害薬が奏功する症例であると言われている。
また、ヒューズは1930年代から神経梅毒による発作性疼痛に悩まされ、ペニシリン療法を受けるも再発を繰り返していた。晩年は認知症を患うが、梅毒の猛威は彼の脳の神経細胞に破壊の限りを尽くしたという。
1976年2月10日、ヒューズはラスベガスからメキシコのアカプルコ・プリンセス・ホテルのスイートルームに本拠を移す。1976年4月5日、彼は昏睡状態に陥り、治療のためメキシコからアメリカに戻る。その際自家用機内で息を引き取ったという。70歳であった。
190cmあった彼の身長は、アスピリンなどの薬物乱用のため10cm以上縮み、体重はわずか42kgだったという。あまりに痩せ細ったその容貌から医師、親族がヒューズと判定できず、FBIによる指紋照合が行われた。彼の亡骸は生まれ故郷テキサス州ヒューストンの墓地に埋葬された。彼の死因は脳血管障害、心臓病などがあげられている。
ヒューズは明確な遺書を残さなかったため、彼の残した天文学的な財産の行方を処理するためにはおよそ20年もの歳月が必要であった。彼の死亡から3週間後、ヒューズの遺言状とされるもの(通称「モルモン遺言書」)がとあるガソリンスタンドの店員メルビン・デュマーに届けられる。遺言状の内容は、ヒューズが放浪中ホームレス生活を送っていた際、彼に1ドルを恵んだデュマーに彼の遺産の16分の1(推定1億ドル以上)を分け与えるというものであった。ただ、この「モルモン遺言書」については不可解な点が多く、真偽を巡って現在も訴訟が続いている。その他、過去の伴侶達にも遺産は贈与された。(ウィキペディア)

『アビエイター』(The Aviator)は、マーティン・スコセッシ監督による2004年のアメリカ映画。ワーナー・ブラザースとミラマックスの共同製作。アビエイターとは飛行機の操縦士、飛行家を意味する。
実在の大富豪、実業家であるハワード・ヒューズの波乱に富んだ半生を描いた。スコセッシ監督の作品としては、前作『ギャング・オブ・ニューヨーク』に引き続いてのレオナルド・ディカプリオ主演作品。ディカプリオは製作総指揮としても参加している。
第77回アカデミー賞において最多の11部門にノミネートされ、スコセッシ監督初の監督賞、作品賞、ディカプリオ初の主演男優賞が期待されたが、どれも受賞には至らなかった。その他の部門では5部門を受賞した。

ストーリー:
20世紀初頭。一人の少年が母親に体を洗われているところから映画は幕を開ける。この少年がハワード・ヒューズである。そのとき母親からひとつの言葉を教わる。「QUARANTINE」…和訳すると「感染予防のための隔離」という意味である。後にこの単語にヒューズは苦しめられることとなるのだった。
それから時は流れて1920年代。ヒューズは父から受けた莫大な遺産を元手として、夢のひとつであった映画製作を開始。映画『地獄の天使』の製作はトラブルが続き思うような撮影はできなかったが、史上空前の莫大な予算を費やして3年がかりでようやく完成させた。ヒューズは手当たりしだいの女性を口説き手に入れる傍ら、もう一つの夢である飛行機事業に着手、ヒューズ・エアクラフトという会社を立ち上げ、世界一速い飛行機H-1の開発を始めた。しかし、同時期に知り合った女優キャサリン・ヘプバーンとの恋愛は破綻する。
潔癖症の母親の影響もあり、青年時代から伝染病、不潔なものへの嫌悪感の強かったヒューズの強迫神経症はここにきて顕著となる。自分を拒絶した女の触れた洋服全ての焼却、常に石鹸を持ち歩き病的なまでに手を洗浄する、同じ言葉を執拗に繰り返す等、一般人には理解不可能と思える行動を繰り返す。
ついには衣服を着ることも水に触れることも出来ず部屋に閉じこもり、顔も洗わず髭もそらず全裸のまま暮らし、排泄は部屋の中で牛乳瓶に、何かに触れるときにはティッシュペーパー越しにでなければ触れられない、ドアすら開けられなくなり他人との接触を恐怖と感じる等、ヒューズの強迫神経症は深刻化する。
その後ヒューズは、パンアメリカン航空と並ぶ大手航空会社であるトランス・ワールド航空のオーナーとなる。さらに第二次世界大戦の開戦後には、政府からの資金を受けて世界最大の輸送機であるH-4を開発する傍ら、偵察機XF-11を開発し、自らテスト飛行するがビバリーヒルズの住宅街に墜落し瀕死の重傷を負う。
復帰後、ヒューズを待ち受けていたのは、開発が遅延していたH-4の開発時における公金の不正使用を疑うFBIの強制捜査だった。ヒューズは、パンアメリカン航空のホアン・トリップと関係が深くトリップからの資金援助を受けていたオーウェン・ブリュースター議員が開く公聴会を受けてたつこととなる。
だが、すでに精神を病んでいたヒューズは試写室に全裸で引きこもり、部屋のドアを開けて他者と会うことすらできない状態であった。そんな中で経営不振に陥ったトランス・ワールド航空を売るようトリップが迫るがヒューズは跳ね除けた。その後ヒューズは映画を見て錯乱して倒れ苦しんでいた。
しかし、元恋人エヴァ・ガードナーの精神的援助で公聴会には出席し、ブリュースター議員との議論にも打ち勝ち、世論を味方につけ、公聴会はヒューズに有利な展開となり終焉する。(ウィキペディア)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: その他
感想投稿日 : 2023年2月18日
読了日 : 2023年2月18日
本棚登録日 : 2023年2月18日

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