アウシュヴィッツで人の身代わりとなって餓死することを選んだフランシスコ会(の一派)の神父の伝記。コルベ神父はポーランド人だけど、長崎でも数年間活動していたので日本にも縁のある人でもある。
いつも思うことなのだけど、宗教者というものはこの世の苦悩――たとえばナチス治下のドイツを――というか、あれほどの理不尽で恐ろしいことがこの世で公然と行われていることと神の沈黙を、どう理解していたのだろう。コルベ神父はアウシュヴィッツの中で、どう考えていたのだろう。神の慈悲、聖母の慈悲を説いていて、矛盾を感じないんだろうか。そう思って読む気になった本。この本に書かれていた、餓死監房から賛美歌が聞こえていたというのが事実ならば、神父は最後まで信仰を失ってはいなかったのだろうし、自分の努めを全うしたのだろうけれど。 神はいないだろうけれども、宗教は無力ではないかもしれない。
コルベ神父が身代わりになったことで救われた人のことも知りたかったのだけど、それについては書かれていなかった。その人も重いものを背負ってしまった人生で、大変だったろうと思う。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
所有
- 感想投稿日 : 2018年12月7日
- 読了日 : 2015年2月12日
- 本棚登録日 : 2018年12月2日
みんなの感想をみる