本書は第9回開高健ノンフィクション賞受賞作だそうです。フィリピンクラブに行ったことをきっかけに「無一文」にまで転落し、それでも現地で生き続けている「困窮法人」たちの実態を追ったものです。重いです。
僕もかつて1度だけ東京は錦糸町にある某フィリピンクラブにて酒を飲むなどのことをしたことはありますが。幸か不幸かはわかりませんけれど。ここで取り上げられている5人のような運命の歯車を狂わせることはなかったようです。ここで取り上げるのはフィリピンにおいて文字通り「一文無し」と成り果て、それでもフィリピンの社会から見捨てられることなく、何とか命をつないでいる5人の人間の物語です。
そのどれもが壮絶といえば壮絶で、僕はいったことがないからそんなに詳しくはわかりませんけれど、フィリピーナを追って、文字通り「何もかも捨てて」フィリピンに渡航し、結婚して子供を持ったはいいものの、金銭がらみで不和となり、やがて女性とも別れ、住まいをを転々とした挙句に教会に寝泊りするようになったものや、日本で借金を作った挙句にフィリピンに「飛んで」きて、にっちもさっちも行かなくなったもの。さらにはフィリピンの地で病に倒れ、現地のボランティアに介助を受け、体の半身が麻痺しながらも、なお死ぬことができずに「生きて」いる人間や、長年にわたって家と会社を往復するだけの人生を送ってきた男がフィリピンパブに行ったことをきっかけに、文字通り妻子から何から捨てて、退職金を抱えてフィリピンに渡航し、現地で「少年に戻った」として青春をやり直すものなど。そのどれもが強烈過ぎて、読んだ後に頭が少しだけ朦朧となってしまいました。
ここに出てくる人間の大半は日本にいても周りの人間、特に親や親戚に不義理や迷惑をかけ倒して国内にも自分の居場所が無く、帰るに帰れない姿が延々とつづられている場面を読んでいると、自分の「恥じ多き生涯」の中にも少なからず心当たりがあって、彼らの存在が自分にとっての「鏡」であったのかもしれません。
筆者は取材を重ねるうちに彼らの境遇に同情しつつも
「だからあなたたちは困窮するんだ」
という二つの相反する思いに苦悩したそうです。ここに書かれてあることはおそらく大半の方は縁が無いことなのかも知れませんが、彼らの人生を見ることで、日本の抱えている矛盾や、日本とフィリピンの持つ関係。さらには南国特有の「やさしさ」と世界有数の経済大国ながら日本の持つ「冷たさ」や「息苦しさ」が浮き彫りになってくるようで、読みながらいろいろなことを考えさせられました。
- 感想投稿日 : 2012年8月1日
- 読了日 : 2012年8月1日
- 本棚登録日 : 2012年8月1日
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