アカデミア・サバイバル: 「高学歴ワーキングプア」から抜け出す (中公新書ラクレ 329)

著者 :
  • 中央公論新社 (2009年9月1日発売)
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感想 : 22
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今回この本で明らかになっているのは「大学での生き残り術」です。ここまで裏と表を知り尽くさなければ生き残っていけないのは、どこの社会も一緒だと痛感しました。

先日、小耳に挟んだのですが、僕の昔の知り合いが某研究機関に就職したそうです。別に、その人とは親しくもなかったので、こうして俎上にあげることはなんだか少し気が引けるんですが、彼女のようなエリートが別にこんなチンピラの書く書評なんかは歯牙にもかけないことを信じて、書いていきます。この本は供給過多となった修士課程、博士課程を持ついわゆる「ノラ博士」たちがいかにしてアカデミアという閉鎖社会の中で生き残っていくかについて書かれています。

これはある意味で本業の研究(?)よりも重要なことが書かれているかも知れません。いつか大学で正規の雇用をと目指している方々はとにもかくにも論文を書いて書いて書きまくって実績さえ作っておきさえすればいつかは…。という祈りのような思いがあるようですが、作者いわく、それは違うと。実績以上に人事をつかさどる教授たちに
「こいつと一緒にいて気持ちよくなれるか」
そう思わせることがとにかく大事だと。もっと極端に言えばイエスマン=イヤシマンになれとさえといっています。

具体的には着ている服をほめたり、お茶汲みやコピー取りなどの雑事を率先して行ったり、書いた著作ほめていったりと、そういうことを積み重ねていったほうがずっといいのだと。そういうことをいっています。アカデミックな世界のほうが一般社会よりもずっと、ウエットで、感情的なものが優先するという事実を知って、僕は少なからずショックを受けました。

そして、学会発表が終わったときの懇親会でも自分だけさっさと帰ってしまわずに、自分のことを売り込んで覚えてもらったり、教授に論文を送ってもらえるように頼んで見たりと、自分を売り込んでいかなくては生きていけないんだなぁ、と一抹の寂しさを感じました。今、日本は修士、博士は昔と違ってそんなに重要視されていないのではとこの本を読む限りでは感じてしまいました。

でも、研究機関はおろか、海外の企業などでは修士、博士号を持つ人間がゴマンといて、そんな人たちと競争をするのにもかかわらず、日本ではこういう高学歴な人間を粗末に扱っている。そういうことにも、この国はどうなるんだろうという不安を感じさせてくれるものでした。で、最初の話に戻りますが、彼女もそこまでいたるには実績を上げる以外に何をやってきたのだろうと、この本を読み終えた後に、しばらく考え込んでしまいました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2011年9月29日
読了日 : 2011年9月29日
本棚登録日 : 2011年9月29日

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