快楽なくして何が人生 (幻冬舎新書 た 2-1)

著者 :
  • 幻冬舎 (2006年11月1日発売)
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本棚登録 : 161
感想 : 27

75歳の団鬼六が自身の半生を書いたもの。
結局最終的に団鬼六は自分のことを奇人だと言っている。たしかに数奇な人生を歩んでいるし、彼の周りの人物たちはどうもおかしな人が多いが、彼自身は至極まともな人間であるように思えた。彼の周りの人物は、フィクションであるといったほうがしっくり来るような人ばかりだ。特に彼の父親は喜劇に出てくるキャラクターとしか思えない。父親に関するエピソードを読んでる時はただおかしかったのだが、今読み終わって冷静になってみるとこんなおかしな人間が本当にいるのか?リアルのフィクション性の高さに驚かされる。そしてなんといっても敏江と中川だ。彼らの結婚報告には思わず、えええええ!!と声を上げて驚いてしまった。そして団鬼六に対して仲人をお願いする無神経さには開いた口がふさがらなくなった。若い頃の話で当時真面目に付き合っていた菊江をかっさらって行った後輩山田もまた無神経な人物だし、菊江もまた然り。どうもこういう彼の周りの人物たちは、寛容性を要求してくる質の悪い人が多い。自分の性的倒錯を認めてもらうのと無神経を認めてもらうのはぜんぜん違うのに、それがごっちゃになってしまっているようだ。
英語教師の妻については翻訳を手伝ってもらったエピソードしか書かれていないから彼女は常識人なのだろうか?
団鬼六は常識人とか真面目人間と馬が合わないという。それは理解できるのだが、奇人たちとも馬があっているようにみえないのはおかしかった。
とにかく読みやすい文章で一息で読み終わった。長らく新書を読んでなかったけどこんなにおもしろいのもあるのならまたいろいろ手を出してみたいと思わせる一冊だった。団鬼六の小説も是非読んでみたい。
タイトルは団鬼六の生き様で、内容とは無関係。でも自分の半生にタイトルをつけるならこれが的確なんだと思う。というよりアウトローとして生きてきた彼だから、常に世間に対する違和感があったんだと思う。真面目で常識的な世間に対して、「快楽なくして何が人生だ」「一期は夢よ、ただ狂え」と言ってるだけで、生き様って言うより彼の世間における立場を表した言葉なのかもしれないな。

本書のレビューを幾つか読んだが、団鬼六の生き方が豪快で真似できないだとか、好きなように生きて羨ましいだとか、本当にこの本を読んだのか?と疑いたくなるようなレビューが幾つかあったのにおどろいた。こういう人達の事をさして、団鬼六は常識人はつまらない、と言っているのかもしれない。ということはこの本を読んで面白いと感じたら奇人なのかもね。

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感想投稿日 : 2012年12月8日
本棚登録日 : 2012年12月7日

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