応仁の乱を、『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』という興福寺僧の日記から読み解く。
応仁の乱といえば、足利義政の息子義尚を擁する細川勝元と、義政の弟義視を擁する山名宗全とが都の東西に分かれて11年間戦った争乱で、これをきっかけに戦国時代に突入した、という漠然とした知識だけしかなかったため、先日読んだ門井慶喜さんの『銀閣の人』を機に、もう少しこの時代のことを知りたい、と積読していた本書を引っ張り出した。
読んでみて改めて感じたのは、乱に至るまでにさまざまな歴史的経緯があり、その流れが次第に大きなうねりとなって時代を揺るがす大争乱になったということだ。考えてみれば至極当たり前のことなのだが、教科書的な知識だけでは過去からの流れはなかなかイメージしにくいものだ。
応仁の乱の直接的なきっかけは、確かに細川勝元と山名宗全の覇権争いになるのだが、それに至るまでには幕府の要職についていた畠山氏の後継者争いに細川氏が介入して勢力をそごうとした経緯があるし、さらにさかのぼると、南北朝の動乱後も地元の武士の間で戦いが続いていた大和への対応を巡って畠山氏が将軍の不興を買った結果、お家騒動につながった、という経緯もある。
また、争乱が長期化したのは、幕府を中心とした中央集権体制が崩れ、大名同士の横のつながりが薄れてきたことから、各大名がそれぞれの思惑でどちらかに肩入れした結果、乱の当事者たちが収束させたくても、もはやだれもが納得する収束のしかたがないほど混乱してしまった、という要因がある。そしてその後は各大名が自分たちの分国を死守するために京から地方へと帰ってしまい、足利将軍の失墜と下剋上の時代が幕を開けるのである。
ところで、本書を読むきっかけとなった『銀閣の人』の主人公、足利義政であるが、本書を読んでずいぶんイメージが変わった。
『銀閣の人』では、望まぬ将軍に担ぎ上げられ、妻の実家に何も言えず、ただ隠居して好きな文化的創造を行いたいと願う優柔不断な(現代人には共感大の)人物として描かれていたが、実際のところ、権力をなかなか手放さず、優柔不断なのに意に反したことをされると逆切れするようなめんどくさいタイプだったようだ。
妻の日野富子も、『銀閣の人』では夫をコケにし、我が子を溺愛するあまり応仁の乱の元凶を作った悪妻のように描かれていたが、実際は妹が足利義視に嫁いでいることもあり、息子が大きくなるまでは義視が中継ぎすることについて特に反対をしていたわけではなかったようだ。
物語としては面白いが、日野富子にとってはとんだ濡れ衣で、気の毒な話である。
- 感想投稿日 : 2021年9月25日
- 読了日 : 2021年9月20日
- 本棚登録日 : 2021年9月25日
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