田舎から女優を目指し、パリにやって来た若いムーシュ。現実は厳しく、場末のストリップショーからもお払い箱にされ、セーヌ川に身を投げようとする。その時、どこからかムーシュに語りかける声が。それは、小さな芝居小屋にたたずむ人形から発せられたものだった。思わず返事したムーシュは、しだいに人形たちの世界に引き込まれていく。
そのまま一座の興行についていくことになったムーシュだが、座長で人形遣いのキャプテン・コック(ミシェル)は、血も涙もない冷酷な人間だった。
ミシェルはとにかくムーシュにつらく当たる。不遇の人生を送ってきた彼は、同じようにつらい人生を歩みながらも純真さを失わないムーシュをとにかく汚したくてたまらないのだ。
毎日脅え、泣きながら朝を迎えるムーシュだが、彼がつらく当たれば当たるほど、翌日の人形たちはムーシュをいたわり、甘え、ミシェルから受けた傷を癒してくれる。
この物語は決して明るい話ではないのに、どこかおとぎ話のようなふんわりした印象を受ける。それは、登場人物に生身の人間が少なく、人形たちとのやりとりが中心になっていること、語り口がどこか芝居の口上のように感じられるからかもしれない。
生真面目で責任感の強いにんじんさん。ずるがしこいけど甘え上手で憎めないきつねのレイナルド。図体がでかいが、不器用で気がやさしいアリ。理屈っぽいペンギンのデュクロ博士。わがままでプライドの高い女の子のジジ。噂話が大好きで、女の先輩として何かと助言をくれるマダム・ミュスカ。冷静で頼りになるムッシュ・ニコラ。彼らは皆、ミシェルという一人の人間から生まれているのである。
この話は、心理学的に「多重人格」の話として位置づけられているようだが、普通の人間の中にだってさまざまな顔が潜んでいる。友人といるとき、家族といるとき、職場にいるとき、全く同じだという人はいないはずだ。いろいろな面を含めてすべて自分であり、どれかだけが真実の自分であるわけではない。
ムーシュと人形たちとの関係は、ムーシュに好意を寄せる軽業師バロットの登場により変化を迎える。ミシェルから逃れるため、バロットとの結婚を決意するムーシュ。しかし、彼女が旅立つ日、人形たちに異変が起きる。
ミシェルは、冷え切った心の中で凍り付いていたさまざまな自分の顔を、人形を通してしか表に出すことができなかった。そのかたくなな心をムーシュが純真な心でやさしく溶かしていく。
いろんな俺を全部受け止めてほしい、とか、聖母のようなムーシュの描き方とか、若干男性の都合の良さを感じなくもないのだが、それでもやっぱりこの物語は素敵な恋物語だ。何度でも読み返したい本である。
- 感想投稿日 : 2022年2月23日
- 読了日 : 2022年2月21日
- 本棚登録日 : 2022年2月23日
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