エリートと教養-ポストコロナの日本考 (中公新書ラクレ 753)

著者 :
  • 中央公論新社 (2022年2月9日発売)
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政治、感染症、エリート、日本語、音楽、生命の6つの分野において、教養とは何かを考えさせる本。著者が1936年生まれとあり、若者には馴染みのない話やお説教めいたお言葉もありますが、「なるほどね〜」「そういうのを教養があるというのか」という気付くことはたくさんありました。自分の教養のなさを率直に指摘してくれるひとが周りにいないので、いい刺激になりました。

p16
「教養ある」ということは、しばしば「知識豊かな」と同義と考えられがちですが、私は、それは事の本質ではないと思います。(中略)「教養がある」ことの意味の一つは、何事にも「慎みがある」ということなのではないでしょうか。

p20
「教養ある」とは、人間が仲間内で静穏に生きていくために弁えておくべき行動習慣(私はかつてそれを「規矩」という言葉で表現しました)を実践できることです。

p22
自らの規矩はしっかりと定め、守りながら、それ以外の規矩に従って行動する人々を理解するだけの自由度を、自らのなかに持ち続けること、これも「教養ある」ことの一つの局面であります。

p23
言い換えれば、「教養ある」ことの一つの結果は、どんな他者とも、意思の疎通を(少なくともある程度の充分さをもって)行うことができる状態、と言ってもよいのでは、と考えています。

p65
つまり人間がある才能を有する、ということは、神から特別に「贈り物」を頂戴したことに他ならないのです。その結果、その人は、その才能の点で、衆に抜きんでることになる。それだけのことですが、神は、その才能を自分と人々のために使うことを期待して、彼(女)に才能を贈ったのですから、贈られた側は、それだけの義務と責任が生じます。それが〈Nobless oblige〉ということでもあります(このフランス語は、「高貴なる者の義務」のように、熟語として解されることが多いのですが、本来は「高貴なる者には、それなりの義務を課される」という一つの文章です)。つまり、エリートとは、普通の人々よりも、より多くの、より大きな、義務と責任を背負った人間であることになります。

p171
(前略)歌としての七・五の調子は、平安時代に一世を風靡した、「今様」に直接は由来する、というのが定説のようです。「今様」は、文字通り「今風」であり、当時流行した「流行歌」一般を指す言葉です。後白河法皇が熱中しすぎて、一時期声が出なくなった、という話が伝わっています。その真偽はともかく、後白河法皇の命で『梁塵秘抄』という歌集が編まれたことは、法王の趣向を端的に表しています。
実は、こうした世界が「音楽」の意味であることは、この「梁塵」という言葉からも推測できます。この漢語は、「魯の虞なる人が歌を歌うと、その声があまりにも朗々として見事だったので、梁の上の塵までが動いた」(「発声清越、歌動梁塵」)という故事に由来しています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2022年7月28日
読了日 : 2022年7月28日
本棚登録日 : 2022年7月28日

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