足利の血脈 書き下ろし歴史アンソロジー

  • PHP研究所 (2020年12月19日発売)
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感想 : 10
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 著名作家のアンソロジー『足利の血脈』ですが、副題で、さくら一族の聖戦と付け加えたい。鎌倉公方〜古河公方・堀川公方の興亡と支える忍者の物語。読後としては足利の歴史よりさくら一族の伝奇。面白い企画かと思いますが、個人的には各作品の波が合わず、一人の作家の連作の方が読みやすかったのでは思います。しかし第七話は最終話にふさわしく感動しました。本作は二度目の方が良いかもしれません。

 足利義輝弑逆から織田信長謀殺はもっと盛り上げて欲しいところです。しかし敵城に大胆に忍びこめる信長の忍びは、どうして光秀の京洛進入を安々と許したのか?疑問のままです。某歴史の専門家は本能寺の変に即応した秀吉は忍びを信長の周辺においていた(史料なし)と匂わせていますが、光秀も本能寺進入の前に忍びを使っていたのではと(実際に変に参加した本城惣右衛門の覚書によると、最初に門は抵抗なく開いています)この辺の暗闘があるかと期待していました。

※以下、本作とは関係の無いものですのでスルーして下さい。

義輝の弑逆についてはフロイスの日本史が詳細で面白い(三好の兵、約1万の中には数百人のキリンシタンがおり、情報元かと)
『この目的(義輝殺害)をもって、三好殿(義継)は飯盛(城)から一方弾正殿(松永久秀)の息子右衛門佐(久通)は奈良から出発し、両者は約1万2千名のきらびやかで装備をよく整えた兵士たちを伴って都に向かい、市民を悩まさないようにと彼らは郊外半里のところに居を定めた』 
『三好殿(義継)と右衛門佐(松永久通)は、自らの意図をより巧みに隠そうとして、約70名の騎馬の者とともに出かけ、慰安のために市街から半里距たった清水(寺)という名の僧院に赴くよう見せかけた。彼らはしばらく道をたどったが、突然向きを転じ、急遽公方様の宮殿に騎行した』
『(義輝は)長刀を手にし、まずそれで戦い始めたが、数名を傷つけ、他の者たちを殺戮した…敵に接近しようとして長刀を投げ捨て刀を抜き…彼の胸に一槍、頭に一矢、顔面に東傷二つを加え、彼が傷を負って地面に倒れると、敵はその上に襲いかかり手当たり次第に斬りつけ殺害』 

 そして最近注目されている『乙夜之書物』では本能寺の変で光秀は鳥羽にいたとのこと。確かに信長や寺近くに宿所をとる家臣に見つからずに1万超の兵士が侵入するのは不自然。斎藤利三が精鋭数百でまず奇襲したか。光秀は先例として永禄の変で成功した義輝殺害を当然頭においていたはず。永禄の変も、本能寺の変も通説では1万を超える兵が京の街を奇襲したことになっているが、あの街路を大軍で気づかれず奇襲とは作戦として矛盾している。

■目次
第一話 早見 俊◎嘉吉(かきつ)の狐--古河(こが)公方家誕生
第二話 川越宗一◎清き流れの源へ--堀越(ほりごえ)公方滅亡
第三話 鈴木英治◎天の定め--国府台(こうのだい)合戦
第四話 荒山 徹◎宿縁--河越夜合
第五話 木下昌輝◎螺旋(らせん)の龍--足利義輝弑逆(しいぎゃく)
第六話 秋山香乃◎大禍時(おおまがとき)--織田信長謀殺
第七話 谷津矢車◎凪(なぎ)の世--喜連川(きつれがわ)藩誕生
コラム 喜連川足利氏を訪ねて--栃木県さくら市歴史散歩


読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年10月16日
読了日 : 2023年8月1日
本棚登録日 : 2021年9月25日

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