スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店 (2012年6月22日発売)
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感想 : 50
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この本を手にしたのは、『「考える人」は本を読む』(河野通和)のなかで紹介されていたのが直接のきっかけだったけど、この本のなかに収めらている『江夏の21球』で話題になってテレビでも盛んにとりあげられていた大学生時代、読んでみたいと思いながら、そのまま忘れていた作品でもある。

この本のカバーの裏にある山際淳司さんの写真をじっと見つめていると、かつてNHKのサンデースポーツのキャスターをしていた姿が思い出されてくる。この眼鏡の下の鋭い眼差しが、ゲストにきたスポーツ選手から微熱を帯びた秘話を引き出していたのを思い出す。そして、その眼差しが、スポーツをする特定の人物を徹底的に掘り下げて、描写してくれたものを収録したのがこの一冊。

山際淳司の言葉は、スポーツを観る者の勝手な想像や、感傷で語られていない。それは、彼のその人物が身につけてきたすべてを見透してやろうという視線で、徹底的に取材した材料が勝手に語りかけてくるものを、拾い上げているような作業に感じられる。
だから、今語られてるシーンを軸に、いくつもの回想シーンが重なってその人物をより立体的なものとして、よりリアルなものとして感じてもらおうとして、語られる。

ドラマを観ているように読むことができる。

この短編の集まりのなかで、個人的にわたしが一番気に入ったのは『ザ・シティー・ボクサー』。この中でのいくつかの言葉を引用しながら、山際淳司の眼差しを感じてもらいたい
〜〜「いつものパンチとどこが違ったのか。スローモーション・フィルムを見るように思い返した。あのときはひらめきがあった。今、打てばいいと思うようより先に吸い込まれるようにパンチが炸裂した。インスピレーション。パンチを出した。手ごたえがあった。そして倒れた」〜〜

スポーツをした経験を振り返ると誰にでもあるこの感覚。“脳の反応を身体の反応が追い越してしまう”瞬間、でも、それってこうやって言葉にされてみて始めてその存在を確認できる。こういった掬い取りは随所にある。だから、キャスターとして、ルポライターとして、選手は山際の言葉に誘われて、奥へ奥へ、深く自分との葛藤の記憶を語りはじめてしまうのだろう。

〜〜「ものごとや世間が見えすぎてしまうことは、結局のところ、遠回りすることになってしまうのかもしれない。」〜〜
これも、山際の特徴的なところで、瞬間的に人生を語る言葉を挟んでくる。

〜〜「ぼくは何者かになろうと思っていた。サラリーマンをやっていると、それがだんだん見えなくなるんだ。子供が大きくなる。家庭ができてくる。あ、このままいったらヤバイな、と思ったり。何の刺激もない。面白くもない。」〜〜

こうやって、男たちの誰もが時折紛れ込む迷路の風景を差し込む。

〜〜自分は、格好をつけていないと生きてる気がしないんだなと納得した。いつもそうだった。あれはまだ小学校に通っていたときだろうか。新しくできた友達に、オレ、ボクシングやってんだというと、友達は目を輝かせた。その瞬間、友達の目が春日井にとっての鏡になった。鏡の中の自分は完璧でありたいと思った。人はいる、他者との関係のなかでしか、自分を支えられないときがあるし、たいていの人間はそんな風に生きている。

四年間のブランクと同じようにして残りの20分を費やしてしまうのが、彼にしてみれば不愉快だった。〜〜

ここはもう山際は主人公のボクサー春日井健の人生を一緒に歩んでいて見えている世界を描いている。

この本のなかに、誰でもお気に入りのドラマはきっと見つけられる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年5月3日
読了日 : 2018年5月3日
本棚登録日 : 2018年2月25日

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