幾度目かの最期 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社 (2005年12月10日発売)
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3

久坂葉子は昭和6年、造船会社の家に生まれたお嬢様であったが
終戦後、父親が公職追放を受けたため
家財道具を売り払って、食いつなぐ生活を送るハメになった
その後、文学の道を志す
没落貴族としての生活を自らの小説世界に反映させていたが
太田静子のようなずぶとさを持つには若すぎたのか

「四年のあいだのこと」
かつての少女が大人になって
かつて恋した往診の先生を訪ねるのだが
米兵のジープが走ってきたとき、不意に「ある感情」を持つ
ちょっといきなりすぎてショックだ

「落ちてゆく世界」
没落した一家のあるじは病床にあって孤独だった
彼が死んだとき、子供たちの世界は変っただろうか?

「灰色の記憶」
自伝的な作品で、最初の自殺未遂までが記されている
あるいは、太宰治の「人間失格」に触発されたものかもしれない
反抗的な少女時代を送ったように書かれているが
基本的に「良い子」あつかいを受けていたらしいことは端々から伺える

「幾度目かの最期」
前に好きだった男と、新しく好きになった男
あと好きでもないのにつきあってる男
三人まとめていっぺんに交際しているが、どうも破綻をきたしつつある
…といった告白の手紙なんだけど
作者がこれを書いた翌晩には、阪急線に飛び込んで死んでしまったという
いわくつきの文章というか、まあ遺書だよね
しかしどうも、男たちとのことは自分自身への言い訳っぽい感じがする
つまり、自立した女としての自己像を守ろうとするものではないか?
そんな気がする
確かにこの人、死ぬ死ぬ言って周りの気を引くめんどい女だったらしいけど
三股交際も要は小説のネタづくりでしょう…そんなことより
ここに書かれていることでは、家庭内の確執のほうがよほど深刻な気がする
公職追放を受けた父親への、世間の目は厳しく
子供たちもその巻き添えを食う格好となった
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」のたとえもあるように
公職追放が解けるまでじっと耐えて待つのも、ひとつの選択だが
しかし若い娘にはそれが歯がゆくてならない
現実に、社会からの悪意をぶつけられて苦しんでいるのは子供たちなのだ
それがいつまで続くのかという不安、焦り
そしてなにより、そのことをわかってくれない大人たちへの苛立ちがある
これらにさいなまれる苦しみでは、死の理由に足りないものだろうか

「女」
とある女が死ぬ前の挨拶回りで遺書を配るというはなし
おそろしい

「鋏と布と型」
服飾デザイナーとマネキン人形が会話するという戯曲
やっぱ年を取るのはイヤだったらしい

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感想投稿日 : 2015年4月2日
本棚登録日 : 2015年4月2日

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