キリスト教徒の中には、アダムとイブこそが人類の祖先と考え、進化論を認めない人が相当数いることは有名な話だ。これを荒唐無稽と笑うのは簡単だが、よくよく考えてみると、創造論が物語だとすれば、進化論もまた物語的であるということに気がつく。
というのも、霊長類の進化の過程を再現することは不可能なのだから、「科学的仮説は反証可能である」という基準に照らしたとき、進化論を科学と言い切ることはできないのだ。つまり「進化論は根本的に物語的要素を内在させている」(p.9)のであり、それはまさに科学的想像力を駆使した「サルからヒトへの物語」に他ならない。
もともと昆虫食いだったサルが、競争に負けてフルーツ食いになり、そこでもまた競争に負けて葉っぱ食いになっていく。そうして競争に負けた敗者こそが新しいニッチの開拓者となり、ついには競争相手のいない世界を手に入れて繁栄を享受する。逆説的にも劣位者が(ヒトという)優位者を生む基盤となったとするこの物語は、三文小説よりもよっぽどドラマチックだ。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
人文・社会科学
- 感想投稿日 : 2013年12月17日
- 読了日 : 2013年12月17日
- 本棚登録日 : 2013年12月17日
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