世間を大きく騒がせた大阪で起きた幼児の置き去り事件。
起きてしまった結果は悲惨極まりなく、当事者である母親がその罪を償わなければならないことは自明の理だ。だが、母親を責めるだけではこの事件の本質は決して解決しない。
母子家庭、貧困、虐待、児童相談所、行政の関わり、人と人との関わり、親子関係、生育環境、あらゆる事が少しずつ噛み合わない方へ噛み合わない方へと転がっていってしまった。もしかしたらどこかで救えていたのではないかと、今から見ればそう思えるが、その時はそこになかなか辿りつけなかった事が、この事件をここまで悲惨なものにしてしまった。
懲役30年が確定したというが、果たしてそれは妥当な量刑なのか。
彼女だけの責任なのだろうか。
判決には、虐待の負の病理の検証が不足しているように思えてならない。
行政であれ、家族や友人であれ、適切な援助で救える命がある。でも、家族や親子というごくごく個人的な関係下での事案なだけに、援助が難しくなる側面が確かにある。
困難を抱えた人をどうやったら救い出せるか、助けを求める余裕すらない、細い細い隙間へ落ち込んでしまった親子をどうしたら見つけ出せるか。
今この瞬間にも、ギリギリのところで持ち堪えている親子がいるかもしれない。
どうやったら彼らを救えるのか。
できうる限りの手立てを尽くし、なんとか助け出してほしい。
もう二度、こんな辛い事件は起きてほしくない。
「助けを必要とする人たちが孤立し、自分に向き合えず、助けを求められなくなることがネグレクトの本質だ」
- 感想投稿日 : 2014年4月2日
- 読了日 : 2014年3月25日
- 本棚登録日 : 2014年3月25日
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