たとへば君―四十年の恋歌

  • 文藝春秋 (2011年7月8日発売)
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かけがえのないご夫婦であったろうと思う。
思うのだが。

皆さんがお書きになっているような、うつくしい夫婦愛
というだけではなくて

どうしてもこの相手でなくてはならなかったのに
心のうちに、どうにもならぬ距離感が、生活を共にするうち
双方に出来ていて、それを埋めよう、埋めたいと苦闘して
いたように私には見えた。

若く愛しあうことに燃焼し尽くした時期を互いに忘れないから。
離れることは出来ない。

でも、だから。

過去へ過去の愛情へと想いは向きながら
現実に積み重なっていく時間につれて増える
家族としての愛情をも、壊さぬように抱きしめていく。

そんな2つのベクトルの愛情を抱え込んだ
相聞歌であったと読めた。

まことに深く、苦く、それでいて他ではダメで。
いつか傷つけぬ愛を相手に届けなくてはと思いながら

病魔によってその願いは、「いつか」ではなく「今」からすぐ
伝えなくては、儚くなるものに変わってしまった。

修羅の時間も愛しあう時間も、作品・発表されるべき文に
なった時には、美しく研ぎ澄まされたものになっている。

でも、ここに載らなかった整理されなかった膨大な量の感情と
想いが、ずっしりと質感と量感を持って感じられる。

夫婦愛とか思いやりなんて言葉では包めない
なまな感情や傷があったように感じる。

言葉にしたら、相手が亡くなってしまった今も血を噴きそうな。
だからそれには触れず、研ぎ澄まされた美しい言葉という
「結果」で喪失の傷をかばうような

そんな短歌であり、文章だった。

おそらくここに載せきれなかった「伝えたい言葉」は
亡くなった河野さんの内にも、見送った永田さんの内にも
突然工事中のまま、すっぱりと途切れた道のように
たくさんあったままで。

「生きている時に伝えて置かなかったら、もう今言っても
間に合わないじゃないか。」

と言いながら、他人には見せないままで
きっと宙に浮いているんだろうなと肌で感じるような本だった。

最近こんな風に、亡くなった方の最期の愛情ばかりを
読んでいる。何という理由もないのに。

死病を抱いていても小康を得ている間は
まだずっとたくさん時間があるように思えて
時間など本当はないのに、それを忘れている事が多い。

諍いをしたり、一人でいたり。
いい気になって離れていると ふと。

攫われるようにひとは
いなくなってしまうものなのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2014年5月25日
読了日 : 2014年5月25日
本棚登録日 : 2014年5月18日

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