反哲学入門 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2010年5月28日発売)
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「形而上学」「私は考える、ゆえに私は存在する」「超越論的主観性」―。哲学のこんな用語を見せられると、われわれは初めから、とても理解できそうにもないと諦めてしまう。だが本書は、プラトンに始まる西洋哲学の流れと、それを断ち切ることによって出現してきたニーチェ以降の反哲学の動きを区別し、その本領を平明に解き明かしてみせる。現代の思想状況をも俯瞰した名著。 (アマゾンより)

一回書いたにも関わらず、まさかのデータが消えたので、要約は割愛して印象に残った部分だけを再度。

入門書とはいえ難しい。そもそも、簡単であるということは、何かを捨象しているということである。
「”簡単”であるということこそ、最も理解するのが難しい」という言葉を教えてくれた恩師もまた著者と同じハイデガー研究者であった。


1、哲学は不治の病?
著者は、「哲学という麻薬」という題の箇所で、哲学は不治の病であり、哲学から抜け出せないことは不幸なことであると述べる。すごい言いようだなと思ったが、これは「日本には哲学が存在しない」とった主張に対する批判であると同時に、哲学が生半可なものではないということ、一生をかけなければ分からない(もしくは一生をかけてもわからない)タフなものであるということなのだろうと感じた。
当方は、大学二年に純粋理性批判の序文を読むのに2週間かかり、なおかつ20%も理解できずに哲学を専攻することを挫折したので、どうやら不治の病とならずに済んだようだ。

2、日本には哲学がない。
正しくは西欧的哲学は日本には存在しないということ。丸山眞男の「つくる」「なる」といった概念を用いて、日本では「つくる」のではなく、「なる」のパターンに分類される、と著者はいう。西欧が超自然的原理を想定し「自然」を単なる物質的存在と捉えるようになったのに対し、日本では、自然とは生きて生成したものであると捉えていた。glass is green(草は緑色である)が前者であるならば、glass greens(草は緑色を自ら発している)が後者といえる。
だから日本には哲学がない、という主張は妥当である。ただ、だからとって悲観すべきものでもない。


3、無知の知と愛の論理
ソクラテスの「無知の知」は有名。ただその真意まで理解している人は少なく思える(自分も含め)
愛する者は、その愛の対象を自分のものにしようとする。好きな人がいれば手に入れたいとみんな思うはずだ。すなわち、愛し求める者は、その愛する対象をまだ手に入れてない、ということになる。
philosophyとは、知を愛することを意味する。知を愛する者は、いまだに知を手に入れることが出来ていない、持っていないからこそ、ひたすらそれを愛し求めるのだ、というのがソクラテスの愛の論理だそうだ。
愛知者とは無知であり、無知だからこそ知を愛し求めるのである。
この「愛し求める」の部分は新鮮だった。今まで無知の知は、自分の怠惰の言い訳にしている部分があった、たとえば知ったかぶるよりも知らないほうが偉い、みたいに。それも間違いではないのだろうけど、ソクラテスの意味していた「無知の知」は、「知を愛し求める」ことであり、知らないという現状に満足することなく、知を愛し求め続けることを意味していたのである。
特に関係ないけど、愛知県の愛知はどこから来たのだろう。これが語源ならば、いいねを押してあげたい。

「哲学」とそれを乗り越える形で生まれた「反哲学」のダイナミズムを感じることが出来た良書だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学
感想投稿日 : 2012年1月18日
読了日 : 2012年1月18日
本棚登録日 : 2012年1月6日

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