再読。20歳で読んでいるはずがまるで覚えていない。
神様がパン粉をこねて白い人、黒い人、黄色い人を作る部分は克明に覚えているのだけど。
「ユダ」は誰で何なのかを問いながら、「人」とは何かの追求だと思う。
白い人はカソリックの神を信じるものと信じない、あるいは冒涜するものとの対立を描き、最後はカソリックの神に対しての禁忌を犯しながらも、自らを犠牲にした者を描きだし、黄色い人は白人と日本人の「神」の捉え方とまた棄教したものの心の痛みを描いている。
ひとりで行う信仰ならば、神をひたすら信じ、自分を律すればよいが、人の世の中は一人ではいられない。
その人との「縁」というとあまりにも日本的だが「縁」のために苦しみ、迷い、信仰からは落ちこぼれることになる。
神を信じない者の痛みもあるはずで、基督を通して感じる杓子定規な痛みではなく、自然の発露を行間に感じられる。
キリストが生まれながらに植え付けられた者の倫理観は本当に天然自然からのものには思えない。そこが作家のポイントでもあるように思うのだけどどうだろう?
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
考え込む
- 感想投稿日 : 2015年8月12日
- 読了日 : 2015年8月12日
- 本棚登録日 : 2015年8月12日
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コメント 2件
minikokoさんのコメント
2015/08/23
くろねこ・ぷぅさんのコメント
2015/08/26