ルドルフといくねこ くるねこ (児童文学創作シリーズ)

著者 :
  • 講談社 (2002年2月27日発売)
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感想 : 81
5

『ルドルフとイッパイアッテナ』シリーズについて、
私自身が3部作を貫くテーマと感じたものを3つ選び、
3冊分のスペースを使って書いている。

『ルドルフとイッパイアッテナ』のスペースでは、
「名前と所属、そして、自分は何であるのか」について書いた。

『ルドルフともだちひとりだち』のスペースでは、
「学ぶということ」について書いた。

ここでは、相手の立場を思いやるということについて書いてみたい。

本シリーズでは、敵役が2匹登場する。

『ルドルフとイッパイアッテナ』では、ブルドッグのデビル。

そして、『ルドルフといくねこくるねこ』では、ノラいぬが登場する。

それぞれのクライマックスは、ルドが知恵を絞って、
自分よりも大きな犬と対決するところなのだが。

ルドの作戦もおもしろいのだが、
本シリーズのさらに深いところは、
敵役がただ敵役としてだけ存在するのではないということだ。

勧善懲悪モノのように相手がただただ悪者として描かれるのではないのだ。

ルドは、本からの知識と生きていくことを通して学んだ知識でバランスが取れている、
イッパイアッテナから学んだことによって、
ルドらしいところを残しつつバランスの取れたねこに成長していっている。

もともとの勘のよさに洞察の深さが加わったのだろう。

ちょっとしたことから相手の立場を推し量るセンスが育ったのだ。

それが、悪い敵を完膚なきまでにたたきつぶしてやっつけておしまい
という話にはならない深さをもたらすのだ。

どうして相手がこんな行動を取ったのかを考え、その答えを見つける。

それが敵を敵に終わらせずに、仲間にしていくことへとつながる。

私たちは、立場が違う人とともに生きていかなければならない。

どちらかが善でどちらかが悪ということではなく、
その人なりの正義で生きているということもある。

迷惑行動が、こんな自分は嫌いだとわかっていながら、
そんな行動を取らずにはいられない
心の弱さが露呈してしまった末の行動ということもあるのだ。

子どもの世界にも存在するいじめに例えるならば、
いじめられる側にも心の傷があるが、
いじめる側にも心の傷があるということを
教えてくれているともいえる。

対立を超えて仲間になることのヒントが
このシリーズの中にあるように思えた。

さて、おまけに、3部作の続編はあるのかということについて考えてみたい。

『ルドルフともだちひとりだち』と『ルドルフといくねこくるねこ』の間に
14年もあったことから考えると、
最初は前編後編で完結のつもりだったのではないかと考えられる。

実際、ルドのメインテーマは、
ほぼ『ルドルフともだちひとりだち』で完結しているのである。

『ルドルフといくねこくるねこ』は、後日譚のような位置づけになるのではないか。

でも、この後日譚は、ルドが咀嚼しなければならなかった現実から少し時間を置いて、
さらに考えに深みをもたせた。

そして、シリーズを通してずっと深めてきたテーマに
ブッチーの言葉を借りてコタエを出した。

例外的な時差を超えて、
見事に3部作としてまとめられているのではないかと思う。

だから、これはきっと3部作である。

こんな言葉でこのシリーズに対する書評を終えたい。

タイムマシンに乗って15歳の自分に会いにいけるなら、
『ルドルフとイッパイアッテナ』と『ルドルフともだちひとりだち』を持っていく。

そして、お前がちょうど 29歳になる頃に
この続編が出るから絶対に売らずに持っておいて、
続編が出たら買うようにと伝える。

私にとってこの3部作はそういう本なのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 児童書
感想投稿日 : 2010年4月4日
読了日 : 2010年4月4日
本棚登録日 : 2010年4月4日

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