トマシーナ (創元推理文庫)

  • 東京創元社 (2004年5月25日発売)
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感想 : 50
5

本書の存在を知ったのは、今から約半年前。

『猫だましい』を読んだ時だった。

結果としては、『ジェニィ』を読了してから
本書を読み始めてよかったと思っている。

トマシーナからみると、ジェニィは大叔母にあたる。

ジェニィといい、トマシーナといい、ウィッティントンといい、
自分の冒険やご先祖の冒険を語る猫は、
自分の血筋をしっかりと知っていて、それを誇りに思っているようだ。

『ジェニィ』は、猫になったピーターの目線で語られていたが、
この『トマシーナ』は、若干引いた三人称語りの部分と、
猫のトマシーナが語るところとがある。

しかも、語り手であるはずのトマシーナが途中で死んでしまい、
その後、自分をエジプトで神とあがめられたバスト・ラーの生まれ変わりと語る
タリタという猫が語り手にもなったりする。

トマシーナの親しみ深さとていねいさを併せ持ったような語り口とタリタの気位の高い語り口、
そして、どちらの一人称語りでもなく、カメラを引いて抑えた形で、
登場人物たちのそれぞれの語りを聞かせていく三人称。

この視点の交代がちっとも不自然ではなく流れるように展開していくのが本書なのだ。

この自然な転換は、扉の物語の要約にも現れている。

  あたしはトマシーナ。

  毛色こそちがえ、大叔母のジェニィに生きうつしと言われる猫。

  あたしもまたジェニィのように、めったにない冒険を経験したの。

  自分が殺されたことから始まる、不可思議な出来事を……。

  スコットランドの片田舎で獣医を開業するマクデューイ氏。

  動物に愛情も感心も抱かない彼は、ひとり娘メアリ・ルーが可愛がっていた
  トマシーナの病気に手を打とうともせず、安楽死を選ぶ。

  それを機に心を閉ざすメアリ・ルー。

  町はずれに動物たちと暮らし、《魔女》と呼ばれるローリとの出会いが、
  頑なな父と孤独な娘を変えていく。

  ふたりに愛が戻る日はいつ?

『ジェニィ』は、猫になったことを通して成長していくピーターと
それを見守るジェニィの物語に集約することができるが、
『トマシーナ』は、登場人物、登場猫が増える分、様々な読み方ができる。

トマシーナの目線で見たマクデューイとメアリ・ルーの生活。
猫目線で見る女の子の描写の的確なこと。
女の子と猫が似ているというのも、わかる。

タリタが語る、エジプト時代の猫の話。
『猫だましい』にもあったような猫と人間のかかわりの歴史が垣間見られる。

スコットランドという土地の文化も色濃く反映されている。
トマシーナを子ども達が弔うシーンが出てくるが、
それはスコットランド風の見送り方なのだ。

マクデューイとローリの関係は、恋愛的側面もあるが、
現代西洋医学や科学と科学だけでは割り切れないものの対比としても見られる。

牧師のアンガス・ペディは、お互いを若い頃から知る親友同士であるが、
神について語る職業を選んだペディに対し、
マクデューイは過去の出来事の影響もあり、
神を信じる気持ちは失ってしまっている。

彼らは神に対する主義は異なり、語れば議論にもなるが、
基本的には親友同士で、
その議論は非常にユーモアに溢れたやりとりで展開されていく。

神学から死にいたるまでさまざまなことに造詣が深いペディが、
愛について語るところは特に印象に残っている。

「ひとりの女性を愛するということは、
その姿をいっそう神秘的に演出する夜の闇や輝く星、
その髪を温めかぐわしい香りを漂わせる陽光やそよ風をも
同時に愛することになるのだ」
からはじまり、実に1ページに渡り、
~を愛するなら~を愛さずにはいられないはずだと語っていく。

そんなペディとの友情だけは続いているマクデューイだが、
彼は深く深く葛藤している存在である。

本当は人間の医者になりたかった夢を父親の動物病院を継がなければ
医学を学ばせないという圧力によりつぶされた経験がある。

父親との関係は修復できず、
夢を失ったことで神を信じる気持をも失った。

さらに、動物の病気がうつってしまったことが原因で
自分の妻を亡くしてしまい、なおさら、自分の仕事が愛せないし、
神などいないという気持ちが強くなる。

妻を失い、同時に、娘の母親も失ってしまったのだ。

彼は、自分の仕事は愛せなかったが、娘は愛していたから、
トマシーナを安楽死させる前は、母親不在ながらも
なんとか良い関係ではいたのだ。

トマシーナの安楽死にまつわるエピソードは、
マクデューイの医者としての尊厳をゆるがす出来事と同時に起こる。

その日交通事故で瀕死の怪我を負った盲導犬が担ぎ込まれていた。

その手術のときに、具合が悪くなったトマシーナを連れて
メアリ・ルーは診察室にやってきていたのだ。

妻が動物の病気がうつって亡くなっていたため、
マクデューイはメアリ・ルーが診察室に来ることを禁じていた。

また、人間のために働く盲導犬の手術の最中だったこともあり、
すぐにトマシーナの安楽死を助手のウィリーに命じたのだった。

盲導犬は手術のかいがあり救うことができた。

ところが、その報告を盲導犬の持ち主にしにいったところ、
ご老体だった持ち主は、事故に巻き込まれたショックに
耐え切れずに亡くなっていたのだった。

このことは大きな影を落とす。

犬は生かしたのに、人は死んでしまった。

犬を見ていたときに、自分は猫をちゃんと見なかったのではないか。

いや、自分は、娘が自分よりも心を開いていると思える猫に嫉妬をしていたから、
猫を簡単に安楽死させる道を選んだのかと彼は苦悩する。

トマシーナの安楽死のあと、メアリ・ルーは、父親に心を閉ざし、
自分の中で父親を抹殺することで、自分の心も体も壊していく。

まさに現代の心の病である。

マクデューイは、頑固な自分に生き写しの性格を持つ娘と自分の関係の中に、
かつての自分と父親を見たことだろう。

マクデューイはローリが自らの伴侶となり、
メアリ・ルーの失った母親にもなってくれること、
彼女の病を癒すことを期待するのだが・・・。

本書は、1957年に描かれながらも、
50年後の今にも通用するような様々な現代的なテーマを
ファンタジー的な要素で包み込んだ作品であるといえよう。

本書で救いをもたらしたものがなんであったのか。

それは現代的なテーマに対する答えも示唆しているようでならない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 海外小説
感想投稿日 : 2010年7月7日
読了日 : 2010年7月7日
本棚登録日 : 2010年7月7日

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コメント 1件

猫丸(nyancomaru)さんのコメント
2012/09/24

「現代的なテーマに対する答えも示唆している」
今は、もっと切実なんでしょうね。。。

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