お殿様の人事異動 (日経プレミアシリーズ)

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  • 日本経済新聞出版 (2020年2月11日発売)
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江戸時代における幕府を中心とした武家の人事制度について、国替えの制度をもとに説明している。江戸時代は、幕府が強大な権力を保持していたことを再認識した。参勤交代もそうだが、大名に対する土地の所有権や人事権を、徳川幕府が一手に握っていたことが大きく、その基盤がしっかりしていたからこそ政権が260年も続いたのだと思う。トピック的な事項が多く、論理的な流れとはなっていないが、面白く読み進められた。

「(家康の関東への国替え)家康の旧領は信長の次男で織田家当主の尾張国の清州城主織田信雄に与えられたが、尾張や伊勢国などの所領を取り上げた上での国替えであった。信雄は父祖よりの所領である尾張を取り上げられることを嫌がり、転封命令を拒否してしまう。よって、秀吉の怒りを買い、改易に処せられた。所領をすべて没収され、大名としての地位を失った。国替えを拒否して改易された最初で最後の大名となる」p20
「家康入城前の江戸については、葦原が茂り、家が点在する寂れた漁村だったという言い伝えが残されているが、それは事実でない。家康が居城に定める前から、江戸は城下町として発展を遂げていた。家が点在する寂れた漁村どころではなかった。諸国からの商船が港へ頻繁に出入りした。城下には商人が群集し、市も毎日開かれ、人家も密集していた。太田道灌により江戸城が築かれたのは、応仁の乱の少し前にあたる1457年のことだが、道灌が江戸に城を築いたのは陸上や海上交通の要衝であったからだ。だからこそ、江戸は賑わいをみせていた」p23
「(寛政の改革)当時、幕府財政は逼迫していた。定信が寛政改革を決意した動機にもなったが、その最大のターゲットこそ、年間20万両といわれた大奥の経費であった。定信は聖域とされた大奥の経費にメスを入れ、1/3にまで切り詰めることに成功する。だが、人事などへの発言権を封じ込められた上、経費削減を強要された大奥側は激しく反発する。定信の失脚そして改革政治が頓挫する遠因になるのであった」p72
「(水野忠邦による大奥改革の失敗(大奥御年寄 姉小路に言いくるめられる))天保の改革政治は約2年半で挫折し、水野忠邦も老中の座を追われるが、早々に大奥の改革は挫折していた」p76

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感想投稿日 : 2020年7月10日
読了日 : 2020年7月10日
本棚登録日 : 2020年7月10日

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