夏の初めのころ、区立図書館でこの本を予約した。
「返却待ち」の状態だった。予約順は1番め。
ほどなく返されるだろう、と待つことにした。
ところが、前に借りた人からなかなか返却されない。
一カ月がすぎた。それでも返却されない。
しだいに、借りてるのはどんな人だろう? とも考えるようになった。
未返却でひと月半がすぎたころ、図書館の予約状況が「調査中」の表示に変わった。
これはきっと紛失扱いになったな、と思う。
それから一週間ほどすぎたころ。
突然、予約したこの本を用意出来たという連絡がメールが届いた。
なんだか、不思議な気がした。
この本、どこか遠い場所を巡ってかえってきたような気もしている。
そんな経緯も、似つかわしい。
「砂の本」は、そんな小説である。
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標題作の『砂の本』が、やはり秀逸。
書物そのものが、魔のもののようである。
この書物の正体は知れぬままである。
無限の深淵につながる底なし沼のような本。
悪魔の棲むところをのぞくような、しずかな戦慄がある。
あるいは本来、書物は一般に、
底知れぬものを秘めている魔のような存在なのかもしれない。
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『他者』。
これも印象に残った。
一九六九年二月、ボストン近郊の川べり。
わたしが出会ったのは、若き日の自分自身であった。
面白いのは、わたしと「自分」の同一性を確認するための会話。
自宅書斎の本棚にある本を問う。
レイン訳の『千夜一夜物語』が三巻、キシュラのラテン語辞典、ガルニエ版の『ドン・キホーテ』…。etc. etc.
そして、
互いに、これまでに何を読んだかを訊く。
ドストエフスキーで何を読んだかのやりとり。
(『憑かれた人びと』というか)『悪霊』、『分身』
そして、わたしは「自分」に問う。
「それらを読んでいるとき、ジョゼフ・コンラッドの場合のように、人物を明確につかめるかどうか、さらにその全作品をくわしく読みつづける気になるものかどうか、ときいた。」
おもしろい。
衒学的にスリリングなやりとりである。
ふと、思う。ボルヘスは、ドストエフスキーをスペイン語で読んだのだろうか。
こうした一節に出会える。
ボルヘスの、書物への偏愛が滲む。
著者に親しみを覚えた。
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・表題作「砂の本」を含む、短編全14編を所収。
加えて、
・「汚辱の世界史」なる、世界悪人伝の短編7編を併収。
- 感想投稿日 : 2022年8月22日
- 読了日 : 2022年7月17日
- 本棚登録日 : 2022年6月20日
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