反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで (ele-king books)

  • Pヴァイン (2022年8月31日発売)
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感想 : 8
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うーーーん、まぁまぁ。
わたしが無知なだけかもしれないけど、圧巻されてしまった、圧倒的な知識量に…

「反」というより、恋愛映画について語った本という感じ?着目点は面白かったし、観たい映画は増えた!

p.17 「好きな人とは生活上気が合わない。気が合う人は好きになれない」。このセリフがまさに核心をついていると思うのです。坂元的社会においては、本来は、好きな人とは「気が合わない」はずなのに、「花束」の2人は「気が合う」と思い込んで好きになります。趣味が合うと言う事は、気が合うと言う事とは違うのにもかかわらず、です。つまり、実は全く「気が合わない」2人だったんじゃないかと言うこと。私にドロっとした感情が残ったとすれば、おそらくそのせいです。

p.18 誰かと誰かが恋愛に至る理由があって、どの程度真正なものなのか?と言う問いが、「花束」を見た後に、最終的に残るものなのかもしれません。つまりそこには、趣味の一致が恋愛のトリガーになりえても、永遠の留め金にはならないというか、もっと言えば、本当に価値観や考え方が一致する人なんているのか、それも錯覚の1種のではないかと言う問いが浮かび上がってくる。

p.66 「ハーフオブイット」は、人が変わることがあるし、変われるし、変わっても良いと言っている映画なんだと思います。これまでのセクシュアリティーをめぐる映画では、僕の印象では「変われなさ」への苦しみが、とりわけ前景化されていたように見えていたんです。でも、この映画は、そうではない開かれた可能性を示している。副題の「面白いのはこれから」は、「これからどうなるのかわからない」と言う意味なんでしょう。

p.78 恋愛感情をいつまでも味わっていたいと言う要望のループがどこで終わるのかと言うと、それはやっぱり子供だと思うんです。子供が生まれたら恋愛は終わるけど、そこから新たな問題が描かれていく映画は山ほどある。「テイクディスワルツ」は、ミシェル・ウィリアムズが結局妊娠しなかったと言うことが重要なんじゃないか。婚姻と子供を得ることが矢印で結ばれて重要視されているので、そこに断線が走るとドラマが生まれる。こういった映画が今も内外で数多く作られていると思うと、いかに黒沢清が重要かと思い至ります。

p.121 難病ものと、ジェンダーの問題に関して、キラキラ青春映画全般に言えるのは、難病を背負わされるのは、多くが女性の方だと言う事ですが、それを改めて確認しました。そして、それは、女性に対して「美」や「若さ」が求められてしまうこと、つまり「おいてはいけない」と言う圧力と分かちづらく結びついています。さらに言えば、少女が藤野病を背負わされる一方で、少年の場合は、船の事故や発電によって私がもたらされる事例が多いように感じました。なにがしかのあらがえない「力」に負けてしまう。その辺の性差を掘り下げていても面白いと思います。

p.257 マギーギレンホールが監督した「ロストドーター」(2021)も、過去に子供を産んだ中年女性が若い母、娘と出会い、子供を置いて家を出てしまった記憶と再び対峙する映画でした。彼女は“ I’m on I’m an unnatural mother.”、日本語訳では「母性がないの」と言いますが、この映画では「個性」が問い直されています。原作小説自体は、2006年に上されていますが、Netflixで配信されたのが、去年の年末で、今こうしてより多くの1部に触れやすい映画として作成されたと言う背景が大事だと思います。ようやくいいづらかったこともいいって言っていこうよ、と言う時代的な空気が醸成されてきたのだと感じます。

それは映画業界で今起きていることもつながりますよね。多くの人はこれまで口にすることができなかった性加害やハラスメントに対して声を上げていこうと言う風潮はすごく大事ですが、特定の個人がスケープゴートにされて終わりではいけないとも思います。性加害やハラスメントも、構造と歴史の問題だと思います。それを抜本的に変えなければいけないわけで、告発と謝罪が重要であるのと、同時に、システム自体を見直さなければならないと思います。そうでないと、根本的な問題は温存され、隠蔽されるだけです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年12月7日
読了日 : 2022年12月7日
本棚登録日 : 2022年12月7日

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