「知識人の言葉遊びになった”アナーキー”を取り戻したかったのさ」とジョン・ライドンが語る(嘯く)映像を見た記憶がある。
アナーキーが知識人の言葉遊びになる前、クロポトキンも大杉栄も生きていて、ヨーロッパでは爆弾事件が起こっていたロシア革命前夜の1908年に書かれたのがこの本。
詩人警察官の無政府主義の秘密結社へ侵入捜査のドキドキのサスペンスと思いきや、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの芝居のような不条理な喜劇となり、それが象や気球も出てくる追跡劇となる。そして最後は神学的問答で終わる・・・。どうも、この最後の神学的な問答がわかりにくい。
「すべてを破壊してやる」というアナキズム(本来のアナキズはそうではないが・・・)は自己矛盾した存在であり、組織化した無政府主義者なんて自家撞着している。それに対する皮肉なのか?
そういえば、若松孝二の「天使の恍惚」で、季節でよばれる隊長、月でよばれる指揮官、曜日でよばれる兵士という構成になっていたが、この本の影響?それとも革命組織では当たり前のこと?
冒頭の「芸術家は無政府主義者だ」で思い出したが寺山修司。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
奇想
- 感想投稿日 : 2014年1月8日
- 読了日 : 2014年1月7日
- 本棚登録日 : 2014年1月4日
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