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日本を代表する作家たちによる“お弁当”についての随筆集。

「記憶のなかのお弁当」「だれかを思うお弁当」など7つの章からなる41個の「お弁当」がずらりと並んでいるが、同じ「お弁当」はふたつとない。遠足でクラス全員のお弁当の中身が異なるように、それぞれのエッセイで語られたお弁当に対する記憶、思いも様々であった。
駅弁など外で購入したものを除いて、「お弁当」と言うと“家で作ったものを家の外で食べるもの”という認識は多くの人が持っているはずである。つまり「お弁当」はその人の“家庭”そのものであると言える。林真理子が綴ったエッセイにもこのように書かれている。「まだ名前もよく知らないクラスメイトに混じって、ものを食べるというのはひどく恥かしい。特に弁当ならなおさらだ。各自が一人一個ずつ持ってくる『家庭』に違いないからだ。」確かに家で作ったお弁当を人前であける時には、一瞬気恥ずかしさを感じる。また他の人のお弁当の中身をのぞく時も、まじまじと見てはいけないような気がする。学校や会社で垣間見ることができないその人の“家庭”を感じさせてしまうのが、お弁当だからであろう。しかしお弁当を食べる本人にとっては、“家庭”を感じることで学校や会社での緊張を解いてほっと一息つくことができる効果もあるのではないだろうか。いつもの家の味を口にして家族の顔を思い浮かべて心を和ませ、お弁当を食べたらまた頑張ろう、と身体だけでなく心にもエネルギーを与えてくれるのも、それが「お弁当」なのではないかと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 食べ物
感想投稿日 : 2014年3月16日
読了日 : 2014年3月5日
本棚登録日 : 2014年3月16日

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