プロヴァンスブームの火付け役となったエッセイ。1990年ごろは映画や雑誌などあちこちでプロヴァンスが取り上げられていてだいぶチャラいイメージがあったのですが、須賀敦子が書評でとりあげていたので、どこにもgo toできない今、気分だけでもと読んでみました。
イギリスで広告の仕事をしていた著者が何度か旅行して憧れていたプロヴァンスに移住し、最初の一年間を綴っている。この観光客でもなく、地元民にもなりきっていないという距離感のある視点がちょうどいい。
期日のまったく守られない工事、予想外に寒い冬など、苦労話もあるものの、基本的にはマイペースかつ堅実なプロヴァンス人たちとの交流が楽しい。これは著者が別荘にやってくる旅行者ではなく、ちゃんとプロヴァンスで暮らしていこうとしているから異国人であっても受け入れられているんだと思う。
自分の土地にある葡萄畑からの収穫を1000リットルのワインで受け取るとか、近所のおいしいビストロ、パン屋など、飲み食いしている話がたくさん出てきて、ワイン好きではない私でもうらやましくなる。
名前しか知らなかったようなイギリスの友人たちが、宿と食事と観光の足を目当てにいきなり電話をかけてきて訪ねてくるとか、いろいろありそうなのもおもしろい。
この本が出版されたのが1989年(日本語訳が1992年)。映画やドラマにもなり、プロヴァンスブームを引き起こしたことで、この土地の良さは失われたりしてないのだろうか。著者はその後何冊かプロヴァンス関連の本を出し、2018年死去。『南仏プロヴァンスの25年』という本も出てるのでこちらも読んでみたい。
以下、引用。
プロヴァンス人にとって、雨は自然が人に加える個人攻撃である。
ウサギを愛玩したり、アヒルに情が移ったりというのは都会人の感覚である。
プロヴァンスの田舎では、禽獣の死と食卓は直接結びついている。
肉屋は肉を売るだけではない。私たちの後ろに客の列が長く伸びるのもお構いなしで、その肉をどう料理して、盛りつけはこう、付け合わせには何、酒はこれこれ、とことこまかに講釈しないと気が済まない。
墓地はたいてい村で一番眺めのいい場所にある。ある老人がそのわけを説明してくれた。「死んだ者は特等席だ。なんたって、この先長いことそこにじっとしているんだから」老人は自分の冗談に大笑いして咳き込んだ。いよいよこの年寄りの番がきたのではないかと私は気が気でなかった。
カリフォルニアの墓地は景色のいい区画の方が平凡な眺めのところよりも値段が高い話をすると、老人は眉ひとつ動かしもせずに言った。「馬鹿は死ななきゃあ治らない。いや、死んでもだ」
「マムシに噛まれたら男は死ぬ。ところがさ、女を噛んだら……」マッソーは眉をひくひくさせて私に顔を寄せた。「マムシの方が死ぬっていうぜ」
食事を終えて仕事に戻る客たちは髭を拭いながらマダムに明日の献立を尋ねた。何かおいしいものを、と彼女は答えた。
彼らの仕事ぶりを見て以来、私の頭の中で鉢に盛られた葡萄の房と、腰痛、肩凝り、日射病の連想は切っても切れないものとなった。
メネルブの村のパン屋は気紛れで、何時に店が開くかわからない。マダムの化粧が済んだ時が開店時間だと聞かされたのがきっかけで、私たちは他所の村までパンを買いに出かけることを覚えた。
ハンターたちが大勢寄ってたかって容赦なくイノシシを撃つとはあんまりではないか、と私はマッソーに言った。
「そうは言っても、イノシシはうまいからな」マッソーは涼しい顔だった。
村では幼時のイエス選びが進められていた。年恰好のちょうどいい子供の自薦を募っているが、選考の基準は何よりも大切な場面を行儀よく勤めおおせる耐久力である。仮装行列は真夜中にはじまるからだ。
- 感想投稿日 : 2020年10月3日
- 読了日 : 2020年10月3日
- 本棚登録日 : 2020年10月3日
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